漢字文化からひもとく日本 ヤマト民族と漢文

朝日カルチャーセンター千葉 加藤 徹 平成二十九年十一月十三日

 

 「和漢洋」という言葉があるとおり、漢字文化は日本人の教養の大動脈です。日本の歴史を漢字や漢文からひもとくことで、私たちの祖先が何を思い、どんなことを試み、この国の形を作ってきたかを明らかにします。漢字を含む物品は弥生時代には日本に伝わっていたのに、日本人が漢字を本格的に使い始めるのは六世紀末の聖徳太子の時代からです。なぜ漢字の伝来から使用まで数百年もかかったのか。漢字の伝来は日本人の精神世界をどのように変えたのか。東アジアの他の民族の漢字受容と比較しつつ、「ヤマト民族」から「日本人」への変化の歴史を探ります。

 

★漢字を発明したのは誰か? 古代日本の八百万の神々の中に文字の神様はいなかった

 

『淮南子』本經訓

 昔者蒼頡作書、而天雨粟、鬼夜哭。

 むかし、蒼頡、書を作る。天、粟を雨ふらし、鬼、夜、哭す。

 むかし、ソウケツが文字を発明したとき、天は穀物を雨のように降らせ、幽霊は夜に声をあげて泣いた。

 

デジタル大辞泉の解説

そう‐けつ〔サウ‐〕【蒼頡/倉頡】

 中国古代の伝説上の人物。黄帝の史官で、鳥の足跡から文字を創案したと伝えられる。そうきつ。

 

★「甲骨文字」より古い「漢字」はあったか?  「花土(かど)

『対談 私の白川静』八十七頁より

 これもおそらく三千三百年以上前に遡るもの≠セと思われますが、木の板に朱で文字を書く。朱は硫化水銀ですから、永遠に消えないんです。それを土中に埋める。すると木は朽ちて失われても、朱≠セけは土の中に残るんです。それで黒い土の上に文字だけが在(あ)る――それを「花土」、花の土と言うと。美しいものです。写真を見せて頂きました。 

 

★日本の遺跡から出土した最古の文字は?

 弥生遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の墳墓から二〇〇四年に見つかった前漢時代の中国製銅鏡の銘文が、現時点では日本最古の漢字遺物の一つ。

 久不相見、長毋相忘

久しく相見ざるも、長く相忘るること毋からん

長い間会えなくても、いつまでも忘れないでね

 この鏡の持ち主が、この漢文の意味内容を理解していたかどうかは不明。

 

★和語「ふみ」の語源

 漢字「文」の音「ふん/ぶん」から転じて「ふみ」になったという説が有力。「踏み」説もある。

 「筆(ふで)」の語源は「ふみ+て」説、「紙(かみ)」の語源は木簡(もくかん)竹簡(ちくかん)の「簡」の音が転化したという説が有力。

 

★五世紀以前の日本で漢字が普及しなかった理由は何か?

加藤徹『漢文の素養』より

 これは、文字を学ぶ能力がなかった、というより、意図的に文字を学ばなかった可能性がある。

 筆者が思うに、古代ヤマト民族の「言霊思想」が、文字文化の輸入を阻んだのではないか。そもそも、和語では、「言」と「事」を区別せず、ともにコトと言った。すべての言葉には霊力があり、ある言葉を口にすると、実際にそういう事件が起きる、と古代人は信じた。例えば「死ぬ」という言葉を口にすると本当に「死」という事実が起きるし、自分の本名を他人に知られると霊的に支配されてしまう、と恐れられていた。

 このような迷信を、言霊思想という。

 八世紀の『万葉集』の歌人たちは、和歌のなかで、日本を「言霊の幸はう国」「事霊(言霊に同じ)のたすくる国」「言挙げせぬ国」と詠んだ。こうした自覚は、弥生時代のヤマト民族にもあったであろう。

 そんな言霊思想をもつ古代ヤマト民族にとって、異国から伝来した文字は、まるで、言霊を封じ込める魔法のように見えたにちがいない。幕末に西洋から写真技術が入ってきたときも、「写真に撮られると魂を抜かれる」という迷信を信じた日本人は、多かった。何千里も遠く離れた人や、数百年も前に死んだ人のメッセージも正確に伝える文字というものに対して、古代ヤマト民族が警戒心を懐いたとしても、不思議はない。

 古代のヤマト民族の社会は、文字がなくてもやってゆけたろう。先祖の事件や物語は、記憶のプロである語り部が暗誦すれば事足りた。稲束の量を記録する場合は、縄の結び目を使う「結縄」で間にあった。中国や朝鮮半島との往来には、漢字が必要となったかもしれないが、それは少数のスペシャリストの仕事であり、民衆の日常生活とは関係がなかったはずである。

 文字記録に対する抑制、という現象は、どの民族にもあった。

 例えば、古代インドでも、崇高な教えは文字として記録してはいけない、という社会的習慣があった。釈迦の教えも、弟子たちはこれを文字に記録せず、口から口へと伝えた。釈迦の教えを文字にした成文経典ができあがるのは、釈迦の入滅後、数百年もたってからのことである。現存する仏教の経典の多くが、梵語で「エーヴァム・マヤー・シュルタム」(このように私は聞いた。漢訳仏典では「如是我聞」)という言葉で始まるのは、こういうわけである。

 西洋でも、崇高なものは文字に写してはいけない、という発想があった。例えば、『旧約聖書』の神の名前も、その正確な発音を文字に写すことを禁じられたため、YHWH という「聖四文字」(ラテン語でテトラグラマトン)の子音しか伝わらず、どう母音をつけて読むか、不明になってしまった。十三世紀以降、キリスト教では、「エホバ」と読む習慣ができたが、現在ではヤハウェと読む学説が有カである。

 八百万の神を信仰していた古代ヤマト民族にとっては、森羅万象が、宗教的な意味をもっていた。こうした世界観が、漢字漢文の日本への定着を阻む要因となっていた可能性がある。

 

★柿本人麻呂の和歌

しきしまの やまとのくには ことだまの たすくるくにぞ まさきくありこそ

 

★古代日本の古墳や陵墓の被葬者の名前が不明である理由

 元明天皇(六六一年〜七二一年)は、『続日本紀』によると、崩御に先立って薄葬の詔を下し、火葬のうえ、墓所には常葉の樹を植えて「刻字之碑」を立てるべきことを遺命した。

 

★漢字の功罪について

「カナモジカイ ホームページ(公式サイト)」より

http://www.kanamozi.org/

 漢字は日本語の伝統を破壊しました。

 日本では、外来の漢字・漢語をありがたがり、本来の自分たちのコトバである大和言葉(和語)を軽んじてきたため、多くの大和言葉が滅び、漢語に取って代わられました。

 漢字は、生き残った大和言葉にも大きな爪あとを残しました。「くさい」と「くさる」、「おもい」と「おもな」は、本来は派生関係にあるコトバですが、中国語にならって、「臭い」「腐る」、「重い」「主な」と、異なる漢字を当てて書き分けるため、それぞれのコトバの関係が見えなくなり、その結果、コトバの本当の意味も分からなくなりました。

 

★ツイッター社は十一月七日、ひとつのツイートの文字数制限を現行の140文字から280文字に拡大すると発表した。ただし、1文字あたりの情報伝達量が多い日本語、中国語、韓国語は今のままだという。

 

  Asahi Culture Center  …十七文字(空欄を含めず)

  朝日カルチャーセンター …十一字

  朝日文化中心 …六字

 

  早大理工

  Faculty of Science and Engineering,Waseda University