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日経アカデミア 特別講座「京劇を学ぶ」
京劇「楊門女将2017」−天津京劇院日本公演−
事前公演&オンステージ付鑑賞会
[東京 2017/6/27]担当:加藤徹

最初の公開2017/7/15 最新の更新2015/7/15

「パワポビデオ(無音) 京劇「楊門女将2017」‐天津京劇院日本公演 京剧 杨门女将 访日演出」

YouTube https://youtu.be/6FclWu6ZtUo


1.楊門の推定年齢

第一世代の嫁佘太君百歳以上内海桂子師匠より年上
第二世代の嫁楊七娘六十代由美かおる氏と同年輩
第三世代の嫁穆桂英四十代藤原紀香氏と同年輩
第四世代の男楊文広十代藤井聡太四段と同年輩

2.最年少の楊文広から日本のお客様へのごあいさつ

 你们好! みなさん、こんにちは。ぼくの名前は「楊文広(よう・ぶんこう)」です。中国語で読むと「ヤン・ウェングァン」漢字を訓読みすると「やなぎ・ふみひろ」になります。  ぼくの家は「武門」です。男も女も、みな強いんです。
母は穆桂英(ぼく・けいえい)、父は楊宗保(よう・そうほ)です。母の氏名が「楊桂英」でない理由は、中国では女性は結婚しても姓が変わらないからなのです。
祖母は柴郡主(さい・ぐんしゅ)、 祖父は楊六郎(よう・りくろう)です。
曾祖母は佘太君(しゃ・たいくん)、 曾祖父は楊業(よう・ぎょう)です。曾祖母は数え年で百歳になりましたが、とても元気です。
 その昔、曾祖母が少女だったころ、若武者だった曾祖父と武術の試合をして、たがいの腕前を認めあって結婚したのだそうです。その後、曾祖母は、曾祖父とともに平和を守るために戦いつつ息子を7人、娘を2人生み、男の養子を1人取りました。すごい女性です。
 ぼくの大叔母(祖父母の妹)さんたちも、武術の達人ぞろいです。
 楊七娘(よう・しちじょう)は祖父の義理の妹です。
 楊八姐(よう・はつしや)と楊九妹(よう・きゅうまい)は、祖父の実の妹です。
 楊大娘(よう・だいじよう)と楊二娘(よう・じじよう)は祖父の義理の姉。
 残念ながら、楊家の男たちは代々、短命です。平和を守るために戦い、傷つき、戦死し、行方不明になり、病死したりしました。ぼくの父(楊宗保)も、国境近くで偵察していたとき、卑怯な敵に弓矢で不意打ちされて、亡くなりました。
    楊家の跡取は、ぼくひとりです。・・・
うちで働く男性には、勤続八十年余の楊洪(よう・こう)さん親の代から働いてくれている、孟(もう)さん、焦(しょう)さん父の馬丁、張彪(ちょう・ひょう)さんらがいます。
 そんなぼくらを馬鹿にする人もいます。朝廷の王輝(おう・き)という大臣は
「昔の楊家(ようけ)はすごかったが、今は年寄りの寡婦(かふ)と子供だけだ。少子高齢化で、もうダメだね」
と言います。彼のように、自分は安全な後方にいながら、現場で血と汗を流して働くぼくらのような人間を悪く言うのは、どうでしょうか。
 その点、大臣の寇準(こう・じゅん)さんは正しい心をもつ人で、ぼくらにも公平に接してくれます。
 皇帝陛下(仁宗)も、ぼくらを理解してくださっています。
 ここだけの話ですが「生まれる時代を間違えたのかなあ」と思うこともあります。もしぼくが大昔の三国志の時代に生まれていたら、腕っぷしの強さと肝っ玉にものを言わせて、天下を取れたかもしれません。でも、今は宋(そう)の時代。科挙の試験に合格した秀才官僚とか、お金持ちばかりが良い目をみる時代です。うちのような武門の一族とか、地道に汗水たらして働く庶民は、なかなか報われません。
 それやこれやで、残念ながら宋は弱くなり、周辺国のほうが強くなりました。最大の強敵は西夏(せいか)という新興国です。ぼくの父を弓矢で闇討ちした西夏国王の王文(おう・ぶん)や、その王子の王翔(おう・しょう)、王の側近の魏古(ぎ・こ)は、父の仇(かたき)です。
 運命を嘆いても始まりません。平和を取り戻すため、ぼくらは立ち上がります。父もきっと遠い世界から見守ってくれていることでしょう。母のような女性、ぼくのような子供は、いつの時代、どこの国にもいる、と信じます。
 それではまた、後ほど劇場でお目にかかります。ありがとうございました。
【楊文広からのごあいさつ 終】

3.観劇に役立つかもしれない豆知識

〇京劇「楊門女将」…「楊家将」の長い物語の一部。
 NHKの大河ドラマにたとえると十月放送あたりの話。
【いつ】北宋の第4代皇帝・仁宗(在位1022年〜1063年)の治世。
【どこ】第一幕は、宋の首都・開封(かいほう)。
 第二幕は、西夏と宋の国境一帯の戦場。

〇上座と下座…京劇では、3人の場合は中央が1番、客席から見て向かって右側が2番、左側が3番。2人の場合は、客席から見てむかって右側が上座になる。オリンピックの表彰台の「金銀銅」とは左右逆なので、要注意。
参考「雛人形」
関西の「京雛」では、東洋の「左上右下」の伝統にもとづき、京劇と同様、向かって右側が上座である。 関東の「関東雛」は、近代的な国際式の「右上位」で、京劇や京雛とは左右が逆になる。
〇天波府(てんぱふ)…楊一族が住むやしきの名前。
〇五十歳の誕生祝い…中国では数え五十歳を「半百」と言い、特別に祝う。
〇「寿」「奠」…舞台中央の掛け軸の漢字。
 前半の「寿」は長生きを意味するめでたい漢字。そのあと出てくる「奠(てん)」は、「香奠(こうでん)」の「奠」(今の日本では「香典」と書くことが多い)。
〇紅、白、黄…昔の中国では、「紅」は祝いごとなどめでたい色、「白」は喪服など不吉な色、 「黄」は皇帝専用の神聖な色。

〇元帥(げんすい)…軍隊の最高司令官。元帥の下に、将軍や武将がいる。

〇鞭(むち)…俳優がふさのついた棒のような鞭を手にもつと、演ずる人物が馬に乗っていることを示す。鞭の色は馬の毛並の色を示す。
○くまどり・・・くせのある男の役は、顔にくまどりを描く。
 楊門につかえる執事である楊洪や、宋の大臣の王輝、西夏国王の軍師の魏古は道化役であり、白い豆腐のようなくまどりを描く。
 敵国・西夏の首領である王文のくまどりは、性格の粗暴さを示す。
〇歩兵…薄い底の靴を履いて戦う。
〇翎子(リンズ) … 高位の武人のかぶりものの2本のキジの羽のこと。
〇長靠(ちょうこう)…騎馬武者の大鎧(おおよろい)の舞台衣装。背中に3角形の旗「靠旗」を4枚つける。
 俳優が長靠を着て、槍(やり)をふるって戦うと、その俳優が自分の足で舞台上に立っていても、演ずる人物が馬に乗って戦っていることを示す。

○葫蘆谷(ころこく)・・・「ひょうたん谷」の意。京劇などで時々出てくる架空の地名。
〇桟道(さんどう)…断崖絶壁に木の板を横にわたして、かろうじて通れるようにした道。
〇「老馬の智」…春秋時代、斉(せい)の管中(かんちゅう)が道に迷ったとき、年をとった経験豊かな馬を使い道を探しだした、という故事成語。出典は『韓非子(かんぴし)』。

 では、劇場に参りましょう!
以上

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