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朝日カルチャーセンター 千葉   平成28年10月27日金曜日(旧暦九月二十八日)
担当 加藤 徹
 
     二十四節気 2016年 晩秋から冬にかけて
季秋 晩秋 旧暦九月 寒露 10月8日 霜降 10月23日
孟冬
仲冬
季冬
初冬
中冬
晩冬
旧暦十月
旧暦十一月
旧暦十二月
立冬 11月7日
大雪 12月7日
小寒 1月6日
小雪 11月22日
冬至 12月21日
大寒 1月21日
2017年の旧暦一月一日(「春節」)は、グレゴリオ暦の1月28日。
 
★ 頼山陽『日本外史』巻二十二
  大阪夏の陣の最後の戦い「天王寺・岡山の戦い」真田幸村の討ち死に
(原漢文は省略。訓読を左に示す)
 ……将軍、行きて前部に至り、令を布いて帰る。両軍既に近づく。左先鋒の隊将・本多成重(ほんだ・なりしげ)阜(おか)に上りて戦を窺う。忠靭(ただゆき)・秀政(ひでまさ。小笠原秀政)と、勝永(かつなが。毛利勝永)・永応(えいおう。竹田永応)と、銃手を以て戦を挑む。戦少しく利あらず。幸村(ゆきむら)之に乗ず。成重、顧みて我が軍を麾く。軍乃ち進む。忠直(ただなお。松平忠直)曰く「吾、此より直ちに閻羅庁に入るなり」と。因りて餐を呼び、立ちながら之を食う。一人は餐を捧げ、一人は冑を持つ。食畢(おわ)りて冑し、左右に謂ひて曰く「我れ既に食せり。必ず餓鬼道に堕ちず」と。騎して直ちに前む。軍、閧して之に従う。忠直の弟忠昌(ただまさ)手づから二人を斬る。成重、吉田修理(よしだしゅり)荻田主馬(おぎたしゅめ)と、左右より縦撃す。幸村の軍、終に敗走す。追いて安井に至る。西尾久作(にしおひさなり。西尾宗次)幸村と闘ひて之を斬る。
 
【注】〇本多成重…徳川の重臣。幼名は仙千代。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙」である。〇西尾宗次(にしおむねつぐ)…越前松平家の鉄砲組の武士。慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣で、安井神社の境内で休息中の真田信繁(幸村)を、相手が誰とわからぬまま刺殺。幸村の首を取る。
 
 
  易水送別
唐・駱賓王(640?〜684?)
此地別燕丹  此の地 燕丹に別る
壮士髪衝冠  壮士 髪 冠を衝く
昔時人已没  昔時 人 已に没し
今日水猶寒  今日 水 猶ほ寒し
 
 エキスイソウベツ。トウ、ラクヒンオウ。コのチ、エンタンにワカる。ソウシ、ハツ、カンをツく。セキジ、ヒト、スデにボッし、コンニチ、ミズ、ナおサムし。
 
【注】易水…中国の河北省を流れる川の名前。〇駱賓王…唐初の詩人。ラクヒンノウとも読む。名前は「王」の字を含むが、王族ではない。684年、徐敬業(李敬業)が武則天(則天武后)の専横に反対して反乱を起こしたとき、駱賓王は「一抔土未乾、六尺孤安在」(イッポウのツチ、イマだカワかざるに、リクセキのコ、イズくにかアる)云々の檄文を書いた。それを読んだ武則天は、自分を批判する文章であるにも関わらず「これほどの才能のある者を用いなかったのは、宰相の責任である」とだけ述べた。駱賓王は反乱が平定されたあと、行方がわからなくなる。殺されたとも、南方の寺に逃れたとも言われる。〇燕丹…古代の燕国の太子・丹のこと。紀元前227年、秦王政(後の、秦の始皇帝)を暗殺するために、荊軻(けいか)という刺客を送り出した。
yi4 shui3 song4 bie2   tang2 luo4 bin1 wang2
ci3 di4 bie2 yan1 dan1, zhuang4 shi4 fa4 chong1 guan1
xi1 shi2 ren2 yi3 mo4, jin1 ri4 shui3 you2 han2
 
★ 司馬遷『史記』卷八十六・刺客列伝第二十六・荊軻の条より
遂発。太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之。至易水之上、既祖、取道。高漸離?筑、荊軻和而歌、為變?之声。士皆垂?涕泣。又前而為歌曰
「風蕭蕭兮易水寒。
 壮士一去兮不復還」
 復為羽声?慨。士皆瞋目、髪尽上指冠。於是荊軻就車而去、終已不顧。
 
 遂に発す。 太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。 易水の上(ほとり)に至る。既に祖して道を取る。高漸離(こうぜんり。人名)筑(ちく。楽器名)を撃ち、荊軻(けいか。人名)和して歌ひ、変徴(へんち)の声を為す。士、皆涙を垂れて涕泣(ていきゅう)す。又、前(すす)みて歌を為(つく)りて曰はく、
「風 蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し
 壮士一たび去りて復た還(かえ)らず」と。
 復た羽声を為して?慨(こうがい)す。士、皆、目を瞋(いか)らし、髪、尽(ことごと)く上がり冠を指す。是(ここ)に於(お)いて荊軻、車に就きて去る。終(つひ)に已(すで)に顧みず。
【参考】 昭和37年の大映の映画『秦・始皇帝』(しん・しこうてい)の配役
秦王政(始皇帝)…勝新太郎。燕国の太子・丹…宇津井健。荊軻…市川雷蔵。
荊軻の妻…中村玉緒(筑を奏でる。史実では、筑を演奏するのは高漸離)
 
  酬令公雪中見贈
  (酬令公雪中見贈訝不与夢得同相訪)
唐・白居易(772〜846)
雪似鵞毛飛散乱  雪は鵞毛に似て、飛びて散乱し
人被鶴?立徘徊  人は鶴?を被て、立ちて徘徊す
鄒生枚叟非無興  鄒生、枚叟、興無きにあらず
唯待梁王召即来  唯だ梁王を待つのみ、召ばば即ち来たらん
 レイコウのセッチュウにオクらるるにムクゆ。(…レイコウのセッチュウにオクられ、ボウトクとトモにアいオトナわざるをイブカるにムクゆ)。トウ、ハッキョイ。
 ユキはガモウにニてトびてサンランし、ヒトはカクショウをキてタちてハイカイす。スウセイ、バイソウ、キョウ、ナきにアラず。タだリョウオウをマつのみ、ヨばばスナワちキたらん。
 
【注】唐王朝の宰相で中書令となった文人政治家の裴度(はいたく/はいど。765年〜839年)は、同じく文人政治家であった白居易(白楽天)や劉禹錫(劉夢得)と親しく、たびたび自宅に招いた。あるとき、劉禹錫だけが裴度の邸に行き、白居易は行かなかった。裴度はそれを訝る漢詩を書いて、雪の日に白居易に贈った。それに対して、白居易が返信として応酬したのが、この七言絶句である。「令公」は裴度を指す。〇鵞毛…古くはガボウとも読んだ。ガチョウの白い羽毛。〇鶴?…古くはカクジョウとも読んだ。ツルの白い羽毛で作った衣。仙人や隠者などが着た。ここでは、雪のなかを歩く通行人の衣服に雪がふりかかって白くなった様子を喩えている。〇鄒生・枚叟・梁王…いずれも人名。南朝・宋の謝恵連の韻文作品「雪賦」をふまえる。かつて梁王は、友人や文人を呼び、雪が降る風流な景色を文学作品として詠ませた。
chou2 ling4 gong1 xue3 zhong1 jian4 zeng4
(〜ya4 bu4 yu3 meng4 de2 tong2 xiang4 fang3)tang2   bai2 ju1 yi4
xue3 si4 e2 mao2 fei1 san3 luan4 / ren2 pi1 he4 chang3 li4 pai2 huai2
zou1 sheng1 mei2 sou3 fei1 wu2 xing1 / wei2 dai4 liang2 wang2 zhao4 ji2 lai2
 
【参考】能「鉢木」(はちのき)より
佐野源左衛門常世(さのげんざえもんつねよ)と、旅の僧に変装した北条時頼の話。
シテ「あゝ降つたる雪かな。如何に世にある人の面白う候ふらん。
それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し、
人は鶴?(かくしょう)を着て立つて徘徊すと言へり。
されば今ふる雪も、もと見し雪にかはらねども、
我は鶴?を着て立つて徘徊すべき。
袂(たもと)も朽ちて袖せばき、
細布衣(ほそぬのごろも)陸奥(みちのく)の、けふの寒さを如何にせん。
あら面白からずの雪の日やな」
 
★来年、平成二十九年の干支は丁酉(ていゆう。ひのととり)
★ 『戦国策』より、蘇秦が韓王に「合従(がっしょう)」の戦略を説く場面。
寧為?口、無為牛後。
  寧ろ?口と為るとも、牛後と為ること無かれ。
  ムシろケイコウとナるとも、ギュウゴとナるナかれ。
 
★ 『韓詩外伝』巻二より、魯の哀公に臣下が「鶏の五徳」を説明する場面。
君独不見夫鶏乎。首戴冠者、文也。足搏距者、武也。敵在前敢闘者、勇也。得食相告、仁也。守夜不失時、信也。鶏有此五徳。
 
 君は独り夫の鶏を見ざるや。首に冠を戴くは文なり。足に距を搏するは武なり。敵、前に在りて敢闘するは、勇なり。食を得て相告ぐるは、仁なり。夜を守りて時を失はざるは、信なり。鶏に此の五徳有り。
 
 キミはヒトりカのニワトリをミざるや。クビにカンムリをイタダくは、ブンなり。アシにケヅメをハクするは、ブなり。テキ、マエにアりてカントウするは、ユウなり。ショクをエてアいツぐるは、ジンなり。ヨルをマモりてトキをウシナわざるは、シンなり。ニワトリに、コのゴトク、アり。
 
 
  魯山山行
北宋・梅堯臣(1002〜1060)
適与野情?  適しく野情と?い
千山高復低  千山 高く復た低し
好峰随処改  好峰 随処に改まり
幽径独行迷  幽径 独り行き迷ふ
霜落熊升樹  霜落ちて 熊 樹に升り
林空鹿飲渓  林空しく 鹿 渓に飲む
人家在何許  人家 何許にか在る
雲外一声鶏  雲外 一声の鶏
 
 ロザンのサンコウ。ホクソウ、バイギョウシン。マサしくヤジョウとカナい、センザン、タカくマたヒクし。コウホウ、ズイショにアラタまり、ユウケイ、ヒトりユきマヨう。シモ、オちて、クマ、キにノボり、ハヤシ、ムナしく、シカ、タニにノむ。ジンカ、イヅクにかアる。ウンガイ、イッセイのケイ。
 
【注】魯山…別名は露山。河南省の魯山県にある景勝地。梅堯臣は1040年にこの地に遊び、この五言律詩を詠んだ。〇野情と?い…野や山で遊びたい気持ちにぴったりあう。〇好峰 随処に改まり…良い形をした山は、道を歩くにつれてその姿を変える。〇幽径…ひとけのない静かなこみち。〇林空しく…森の木々が落葉したさまを指す。〇雲外 一声の鶏…山に立ちこめる雲煙(うんえん)の向こうから突如として鶏の鳴き声が聞こえてきた。そのおかげで、人家のありかがわかった。
lu3 shan1 shan1 xing2    bei3 song4   mei2 yao2 chen2
shi4 yu3 ye3 qing2 qie4 / qian1 shan1 gao1 fu4 di1
hao3 feng1 sui2 chu4 gai3 / you1 jing4 du2 xing2 mi2
shuang1 luo4 xiong2 sheng1 shu4 / lin2 kong1 lu4 yin3 xi1
ren2 jia1 zai4 he2 xu3 / yun2 wai4 yi1 sheng1 ji1