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※このhtml版は「副」版です。ネット検索用に「文字化け」や「レイアウト崩れ」を覚悟で作った簡易版です。
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朝日カルチャーセンター 千葉    平成27年10月23日金曜日(旧暦九月十一日)
担当 加藤 徹
 
               二十四節気
季秋 晩秋 旧暦九月 寒露 10月8日 霜降 10月24日
孟冬
仲冬
季冬
初冬
中冬
晩冬
旧暦十月
旧暦十一月
旧暦十二月
立冬 11月8日
大雪 12月7日
小寒 1月6日
小雪 11月23日
冬至 12月22日
大寒 1月21日
2016年の旧暦一月一日(「春節」)は、グレゴリオ暦の2月8日。
 
 
  辞世
前原一誠(1834〜1876)
欲掃元悪不顧身  元悪を掃はんと欲して 身を顧みず
死生得失風前塵  死生 得失 風前の塵
生来初灑丈夫涙  生来 初めて灑ぐ 丈夫の涙
不孝兄弟殉国人  不孝なる兄弟 殉国の人
 
 ジセイ。マエバライッセイ。ゲンアクをハラわんとホッしてミをカエリみず。シセイ、トクシツ、フウゼンのチリ。セイライ、ハジめてソソぐ、ジョウフのナミダ。フコウなるキョウダイ、ジュンコクのヒト。
【注】前原一誠…維新の十傑の一人。萩の乱で「殉国軍」として決起するが、鎮圧され刑死。大河ドラマ「花燃ゆ」では佐藤隆太が演じた。〇元悪…元凶。〇殉国…国のために自分の命を棄てること。〇不孝…この詩では親よりも先に死ぬことを指す。
 
 
 
  富岡 (二首のうちの一首)
尾高惇忠(1830〜1901)
遠望近観呼快哉  遠望 近観 快哉を呼ぶ
俄然高厦現霊臺  俄然 高厦 霊臺に現はる
皇猷嘉納西洋術  皇猷 嘉納したまふ 西洋の術
移得斬新奇器来  斬新なる奇器を移し得て来る
 
 トミオカ。オダカ・アツタダ。エンボウ、キンカン、カイサイをサケぶ。ガゼンとしてコウカ、レイダイにアラわる。コウユウ、カノウしたもう、セイヨウのジュツ。ザンシンなるキキをウツしエてキタる。
【注】富岡…群馬県富岡市。世界遺産となった富岡製糸場が経営不振で閉鎖寸前になったとき、大河ドラマ「花燃ゆ」の小田村伊之助(楫取素彦)の嘆願と努力によって存続した。〇尾高惇忠…近代日本の実業家・渋沢栄一の義兄で、栄一に『論語』を教えた師(※)。富岡製糸場の初代場長もつとめた。〇遠望・近観…遠くから見る人と、近くで見る人。〇高厦…高層建築。〇霊臺…霊台。魂が宿る神聖なところ。富岡製糸場を建設する前、尾高と義弟の渋沢栄一は妙義神社に参詣し、西洋風の建物をこの地に建てることについて神に報告した。〇皇猷…天子が国をおさめるために立てる計画。〇移得斬新奇器来…「お雇い外国人」であるフランスのポール・ブリューナ (Paul Brunat)は、地元の在来の製糸法をふまえた上で新しい製糸場用の機械を特別発注し、日本まで運び、明治五年(1872)に操業を開始した。
(※関連情報) 渋沢栄一記念財団(電話03-3910-2314)
「論語とそろばん」セミナー2016 2月10日(水)夜、東京駅北口の会場にて
「伝統と現代、それぞれの『論語』の読み方」講師:加藤 徹
 
 
 
  邯鄲冬至夜思家
白居易(772〜846)
邯鄲駅裏逢冬至  邯鄲の駅の裏 冬至に逢ふ
抱膝灯前影伴身  膝を抱けば 灯前 影のみ身に伴ふ
想得家中夜深坐  想ひ得たり 家中 夜 深く坐すと
還応説著遠行人  還た応に遠行の人を説著するなるべし
 
 カンタンのトウジのヨル、イエをオモう。ハクキョイ。カンタンのエキのウチ、トウジにアう。ヒザをイダけば、トウゼン、カゲのみミにトモナう。オモいエたり、カチュウ、ヨル、フカくザすと。マたマサにエンコウのヒトをセッチャクするなるべし。
【注】唐の貞元二十年(804)の暮れ、役人だった三十三歳の作者が、現在の河北省邯鄲市にあった駅舎で詠んだ旅愁と愁眠の七言絶句。〇想得…想像することができる、自然と思い浮かぶ。〇家中…故郷の家族。説著…口語体の漢語で、「説」は喋る、「著」(着)は「〜している」。〇遠行人…遠く旅している人。作者自身を指す。
han2 dan1 dong1 zhi4 ye4 si1 jia1   bai2 ju1 yi4
han2 dan1 yi4 li3 feng2 dong1 zhi4 / bao4 xi1 deng1 qian2 ying3 ban4 shen1 / xiang3 de2 jia1 zhong1 ye4 shen1 zuo4 / hai2 ying1 shuo1 zhe0 yuan3 xing2 ren2
 
 
 
 
★来年の干支は丙申(へいしん。ひのえさる)
  猿猴(えんこう)が月を取る
《「僧祇律」七の、猿が井戸に映った月を取ろうとして水におぼれたという故事から》身分不相応な大望を抱いて破滅することのたとえ。猿猴捉月(そくげつ)。猿猴が月。猿猴が月に愛をなす。  ―デジタル大辞泉の解説
 
 
 
  『摩訶僧祇律』巻七
法顕訳
 佛告諸比丘。過去世時、有城名波羅奈、國名伽尸。於空閑處、有五百?猴。遊行林中、到一尼倶律樹。樹下有井、井中有月影現。
 時?猴主見是月影、語諸伴言「月今日死落在井中。當共出之。莫令世間長夜闇冥」。共作議言、云「何能出」。時?猴主言「我知出法。我捉樹枝、汝捉我尾、展轉相連、乃可出之」。
 時諸?猴即如主語、展轉相捉。小未至水。連?猴重。樹弱枝折、一切?猴墮井水中。爾時樹神便説偈、言、
  是等?榛獸 癡衆共相隨 坐自生苦惱 何能救世間
 
 佛(ほとけ)、諸比丘(しょびく)に告ぐ。
 過去世の時、城の波羅奈(はらな)と名づく、國の伽尸(かし)と名づく有り。空閑の處(ところ)に於て、五百の?猴(びこう)有り。林中を遊行(ゆぎょう)し、一の尼倶律樹(にぐりつじゅ)に到る。樹下に井()有りて、井の中に月影の現はるる有り。
 時に?猴の主(しゅ)、是()の月影を見、諸伴に語りて言ふ「月、今日、死して落ち、井の中に在り。當(まさ)に共に之(これ)を出だすべし。世間をして長夜闇冥(あんみょう)ならしむること莫()かれ」と。
 共に議言を作()して云ふ「何ぞ能()く出ださん」と。時に?猴の主、言ふ「我、出だす法を知る。我、樹の枝を捉へ、汝、我が尾を捉へ、展轉(てんてん)して相連(あひつらな)れば、乃(すなは)ち之を出だすべし」と。
 時に諸?猴、即ち主の語るが如くし、展轉して相捉ふ。小さきもの未だ水に至らざるに、連りし?猴は重し。樹弱く枝折れて、一切の?猴は井の水の中に墮つ。
 爾()の時、樹神、便(すなは)ち偈()を説きて言ふ、
   是れらの?(おろ)かなる榛獸(しんじゅう)  癡衆(ちしゅう)は共に相隨ふ
   坐(そぞ)ろに自(おの)づから苦惱を生ず  何ぞ能く世間を救はんや
 
【語注】摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)…仏教の大衆部に継承されてきた「律」。〇法顕(ほっけん。337〜422)…東晋時代の訳経僧の名前。〇波羅奈…はらな。「波羅奈国」。インド北部の宗教都市Varanasi(カナ表記はバラナシ、ワーラーナシ、ベナレス、バナーラス、等)。〇?猴…サル。〇尼倶律樹…大きな木の一種。英訳はnyagrodha tree 、漢訳は尼拘律樹、尼倶類樹とも。〇?猴主…サルたちのリーダー。〇?…愚?(ぐがい)、痴?(ちがい)。〇榛…シン。はしばみ。
 
   見ざる、聞かざる、言わざる、の「三猿」(さんえん / さんざる)
 
 
  「和漢三才図会」巻之四
「時候類」庚申の条より
 有本尊、号青面金剛。其前有三猴。一以両手塞眼、一塞耳、一塞口。以為不視、不聴、不言之戒乎。
 
 本尊有り、青面金剛と号す。其の前に三猴有り。一は両手を以て眼を塞ぎ、一は耳を塞ぎ、一は口を塞ぐ。以て視ざる、聴かざる、言はざるの戒と為すか。
 
 ホンゾンアり、ショウメンコンゴウとゴウす。ソのマエにサンコウアり。イツはリョウテをモッてメをフサぎ、イツはミミをフサぎ、イツはクチをフサぐ。モッてミざる、キかざる、イわざるのイマシメとナすか。
【語注】『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)…江戸時代の医師・寺島良安(てらじまりょうあん)が、明の王圻(おうき)による類書『三才図会』に範にとって編纂した類書。正徳二年(1712)に成立。〇青面金剛…青面金剛明王。庚申講の本尊である夜叉神(やしゃしん/やしゃがみ)。〇三猴…三猿(さんえん / さんざる)に同じ。
 
 
  参考 「見聞言動」の「四猿」の教え
『論語』顔淵第十二より
 顔淵問仁。子曰「克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己、而由人乎哉」。顔淵曰「請問其目」。子曰「非礼勿視、非礼勿視、非礼勿言、非礼勿動」。顔淵曰「回雖不敏、請事斯語矣」。
 
 顔淵(がんえん)仁(じん)を問(と)ふ。
 子(し)曰(のたまわ)く「己(おのれ)に克(か)ちて礼(れい)に復(かえ)るを仁(じん)と為(な)す。一日(いちじつ)己に克ちて礼に復れば、天下(てんか)仁に帰(き)す。仁を為(な)すは己由(よ)る。人(ひと)に由らんや」と。
 顔淵曰(いわ)く「請(こ)ふ、其(そ)の目(もく)を問(と)はん」と。
 子(し)曰(のたまわ)く「非礼(ひれい) 視(み)る勿(なか)れ、非礼(ひれい)聴(き)く勿れ、非礼言(い)ふ勿れ、非礼動(うご)く勿れ」と。
 顔淵(がんえん)曰(いわ)く「回(かい)不敏(ふびん)なりと雖(いえど)も、請ふ、斯(こ)の語(ご)を事(こと)とせん」と。