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※このhtml版は「副」版です。ネット検索用に「文字化け」や「レイアウト崩れ」を覚悟で作った簡易版です。
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  朝日カルチャーセンター・千葉教室
担当 加藤 徹
平成27年(2015)4月24日金曜日=旧暦三月六日
  二十四節気の日付(新暦)。暦の上ではもうすぐ初夏。

 
立夏 5月6日 小満 5月21日 芒種 6月6日
夏至 6月22日 小暑 7月7日 大暑 7月23日
 
目には青葉 山ほととぎす 初鰹    山口素堂(1642〜1716)
 
曲江
唐・杜甫(712〜770)
朝回日日典春衣  朝より回りて 日日 春衣を典す
毎日江頭尽酔帰  毎日 江頭に 酔ひを尽くして帰る
酒債尋常行処有  酒債は 尋常 行く処に有り
人生七十古来稀  人生 七十 古来稀なり
穿花?蝶深深見  花を穿つ?蝶は 深深として見え
点水蜻?款款飛  水に点ずる蜻?は款款として飛ぶ
伝語風光共流転  風光に伝語す 共に流転せん
暫時相賞莫相違  暫時 相賞して 相違ふこと莫れ
 
【読み方】キョクコウ。トウ、トホ。チョウよりカエりてヒビ、シュンイをテンす。マイニチ、コウトウにヨいをツくしてカエる。シュサイはジンジョウ、ユくトコロにアり。ジンセイ、シチジュウ、コライマレなり。ハナをウガつキョウチョウはシンシンとしてミえ、ミズにテンずるセイテイはカンカンとしてトぶ。フウコウにデンゴす、トモにルテンせん。ザンジ、アイショウしてアイタガうことナカれ。
【注】「古希(古稀)」の語源となった七言律詩。西暦758年、杜甫四十七歳、晩春の作。連作二首のうちの第二首。左拾遺(従八品)として朝廷に出仕していた杜甫は、敗戦の責任を問われた宰相を弁護して皇帝(肅宗)の不興を買い、鬱々として楽しまない日々を酒でまぎらせていた。★曲江=唐の都・長安の東南部にあった池の名前。曲江池。★典す=質入れする。★?蝶=模様が派手で大きな蝶。現在ではタテハチョウ(立羽蝶)科(学名Nymphalidae)に属するチョウの総称として使われる。★水に点ずる蜻?=トンボのメスは、飛びながら腹部の先を水面にチョンチョンと打ち付けるようにして産卵する。★款款=緩緩に同じ。ゆったりと。★伝語す=伝言する。★相賞して=杜甫は風光の美を鑑賞し、風光も杜甫の酔態を鑑賞する。
 
【中国語による発音】Qu3 jinag1 / Tang2 Du4 Fu3 / chao2 hui2 ri4 ri4 dian3 chun1 yi1 / mei3 ri4 jiang1 tou2 jin4 zui4 gui1 / jiu3 zhai4 xun2 chang2 xing2 chu4 you3 / ren2 sheng1 qi1 shi2 gu3 lai2 xi1 / chuan1 hua1 jia2 die2 shen1 shen1 jian4 / dian3 shui3 qing1 ting2 kuan3 kuan3 fei1 / chuan2 yu3 feng1 guang1 gong4 liu2 zhuan3 / zan4 shi2 xiang1 shang3 mo4 xiang1 wei2
小田村外姪阿篤、初めて重五に値へるを賀す
吉田松陰(1830〜1859)
旌旗翻風気象雄    旌旗 風に翻り 気象 雄なり
仮兵塑馬又小弓   仮兵 塑馬 又 小弓
邦俗重五賀生児   邦俗 重五に生児を賀す
古風存得一堂中   古風 存し得たり 一堂の中
不倣江南試児術   倣はず 江南 児を試むるの術
漫陳弓矢与紙筆   漫りに弓矢と紙筆とを陳ぬるを
不倣荊楚弔屈平   倣はず 荊楚 屈平を弔ひ
飯?投処分流?   飯? 投ずる処 分流 ?なるを
外姪弄璋二十旬   外姪 璋を弄して二十旬
採艾今日値佳辰   艾を採りて今日 佳辰に値ふ
癡叔不癡又不死   癡叔 癡ならず 又 死せず
詩句偏逐榴花新   詩句 偏に 榴花の新たなるを逐ふ
期汝播穫紹父祖   期すらくは 汝が播穫 父祖に紹ぎ
縦観古典却戎虜   古典を縦観して戎虜を却けんことを
天家遺策至今伝   天家の遺策 今に至るまで伝はる
好斬夷酋復上古   好し 夷酋を斬りて上古に復せよ









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【読み方】オダムラ ガイテツ アトク、ハジめてジュウゴにアえるをガす。ヨシダ ショウイン。1セイキ カゼにヒルガエり キショウ ユウなり/2カヘイ ソバ マタ ショウキュウ/3ホウゾク ジュウゴにセイジをガす/4コフウ ソンしエたり イチドウのウチ/5ナラわず コウナン コをココロむるのジュツ/6ミダりにユミヤとシヒツとをツラぬるを/7ナラわず ケイソ クッペイをトムラい/8ハントウ トウずるトコロ ブンリュウ イツなるを/9ガイテツ タマをロウしてニジュウジュン/10ヨモギをトりてコンニチ カシンにアう/11チシュク チならず マタ シせず/12シク ヒトエに リュウカのアラたなるをオう/13キすらくは ナンジがハカク フソにツぎ/14コテンをジュウカンしてジュウリョをシリゾけんことを/15テンケのイサク イマにイタるまでツタはる/16ヨし イシュウをキりてショウコにフクせよ
【注】吉田松陰が、妹の子供のために作った漢詩。★小田村外姪阿篤=吉田松陰の「外姪」(姉妹のおいっこ)にあたる篤太郎のこと。「阿篤」は「篤ちゃん」の漢語的表現。★重五=旧暦五月五日の、端午の節句。★仮兵=ニセモノの兵隊、ここでは武者人形を指す。★邦俗=わが国(日本国)の習俗。後述の中国「江南」地方・「荊楚」地方の端午の節句の習俗と対比して、日本の端午の節句が武士的・男性的であることを、松陰は誇っている。★試児術=乳児の前にいくつか品物を並べ、どれに興味をもつかを観察することで、その子の将来を占うという習俗を指す。★飯?=飯筒。中国南方の習俗で、端午の節句には、入水自殺した屈原の霊を慰めるため川の中に飯の筒を投げ込んだ。一説に粽(ちまき)の起源とも関連すると言う。★二十旬=二百日間。篤太郎は生後約二百日だった。★癡=痴。痴叔は「バカなおじさん」で、ここでは松陰みずからを指す。★戎虜=西洋人を蔑んだ言い方。★天家=日本の朝廷。★夷酋=野蛮人の酋長。ここでは西洋人を指す。
廬山煙雨
北宋・蘇軾(1037〜1101)
廬山煙雨浙江潮  廬山は煙雨 浙江は潮
未到千般恨不消  未だ到らざれば 千般 恨み消えず
到得還来無別事  到り得て 還り来れば 別事無し
廬山烟雨浙江潮  廬山は煙雨 浙江は潮
 
【読み方】ロザンエンウ。ホクソウ、ソショク。ロザンはエンウ、セッコウはウシオ。イマだイタらざれぱセンパン、ウラみキえず。イタりエてカエりキタればベツジナし。ロザンはエンウ、セッコウはウシオ。
【注】蘇軾(蘇東坡)による禅詩。七言絶句。★廬山=江西省九江市南部にある名山。現在、ユネスコの世界遺産。霧雨にかすむ廬山と、浙江省の「銭塘江大潮」は、中国人なら誰もが一生に一度は行って見てみたいと思う天下の奇観であった。★到得還来無別事=実際に見に行き、帰ってきてみれば、何でもない。
 
【中国語による発音】Lu2 shan1 yan1yu3 / Bei3 song4 / Su1 Shi4 / lu2 shan1 yan1 yu3 zhe4 jiang1 chao2 / wei4 dao4 qian1 ban1 hen4 bu4 xiao1 / dao4 de2 huan2 lai2 wu2 bie2 shi4 / lu2 shan1 yan1 yu3 zhe4 jiang1 chao2
 
 
題西林壁
北宋・蘇軾
横看成嶺側成峰  横より看れば嶺と成り 側よりは峰と成る
遠近高低無一同  遠近高低 一として同じきは無し
不識廬山真面目  廬山の真面目を識らざるは
只縁身在此山中  只だ身の此の山中に在るに縁る
 
【読み方】セイリンのヘキにダイす。ホクソウ、ソショク。ヨコよりミればレイとナり、ソバよりはホウとナる。エンキンコウテイ、イツとしてオナじきはナし。ロザンのシンメンモクをシらざるは、タだミのコのサンチュウにアるにヨる。
【注】西暦1084年、蘇軾が四十九歳の作。五年に及んだ流罪生活を終えた直後、立ち寄った先で詠んだ七言絶句。★題西林壁=廬山のふもとにあった西林寺の壁に書いた漢詩、という意味。★嶺・峰=訓読みはともに「みね」だが、この詩では、嶺は連嶺(連山。連峰。いくつも連なっている峰)、峰は独立峰の意。★真面目=シンメンモク、シンメンボク。ありのままの本当の姿。「まじめ」の意ではない。
 
【中国語による発音】ti2 xi1 lin2 bi4 / bei3 song4 / u1 shi4 / heng2 kan1 cheng2 ling3 ce4 cheng2 feng1 / yuan3 jin4 gao1 di1 wu2 yi1 tong2 / bu4 shi2 lu2 shan1 zhen1 mian4 mu4 / zhi3 yuan2 shen1 zai4 ci3 shan1 zhong1
聞子規
正岡子規(1867〜1902)
一声孤月下  一声 孤月の下
啼血不堪聞  血に啼きて 聞くに堪えず
半夜空欹枕  半夜 空しく枕を欹つ
古郷万里雲  古郷 万里の雲
 
【読み方】シキをキく。マサオカシキ。イッセイ、コゲツのモト。チにナきて、キくにタえず。ハンヤ、ムナしくマクラをソバダつ。コキョウ、バンリのクモ。
【注】明治十一年(1878)の夏、正岡子規(本名は正岡常規。マサオカツネノリ)が数え十二歳で初めて作った漢詩の習作。「其後観山翁は間もなく物故せられしが、引きつゞきて土屋久明先生の処へ素読に行きしかば、終に此先生につきて詩を作るの法、即ち幼学便覧を携へ行きて平仄のならべかたを習ひしは明治十一年の夏にて、それより五言絶句を毎日一ツづゝ作りて見てもらひたり」(正岡子規『筆まかせ』第一編「哲学の発足」)。★子規=ホトトギス。伝説が多い鳥で、漢字では「時鳥、不如帰、杜鵑、杜宇、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄」など様々な書き方がある。★啼血=「鳴いて血を吐くホトトギス」の伝説を指す。ちなみに、正岡常規が「子規」と号するのは1889年5月に喀血してから。この習作を作った十二歳は、まだ結核ではなく、故郷を離れてもいなかった。ちなみに、詩人が自分の作品の中で自分も気づかない将来の運命を予言してしまう現象を「詩讖(ししん)」と言う。★欹枕=漢詩の常套句で、日本では「マクラをソバダつ」と訓読するのが慣例となっているが、「ソバダつ(ソバダてる)」の具体的な動作については研究者のあいだでも諸説がある(「枕を」にではなく「枕に」と訓む説、「枕す」と動詞に訓む説もある)。ここでは「ごろりと横になって、頭を枕の上で輾転反側させつつ、耳を澄ませて外の音を聞く」くらいの意。★古郷=ここは本当は「故郷」のほうが良い。