朝日カルチャーセンター 千葉教室
平成24年10月26日金曜日 加藤 徹
今日は旧暦九月十二日庚申。二十四節気の霜降は10月23日 、立冬は11月7日。
秋思 張籍(766年?〜830年?)
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏 秋風を見る
欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意い万重
復恐怱怱説不尽 復た恐る 怱怱にして説き尽くさざるを
行人臨発又開封 行人 発するに臨んで 又封を開く
★シュウシ チョウセキ ラクヨウ ジョウリ シュウフウをみる カショをつくらんとほっして おもいバンチョウ またおそる ソウソウにして ときつくさざるを コウジン ハッするにのぞんで またフウをひらく
蜀中九日 王勃(650年〜676年)
九月九日望郷台 九月九日 望郷の台
他席他郷送客杯 他席他郷 客を送るの杯
人情已厭南中苦 人情 已に厭う 南中の苦
鴻雁那従北地来 鴻雁 那ぞ北地より来る
★ショクチュウキュウジツ オウボツ クガツここのか ボウキョウのダイ タセキタキョウ キャクをおくるのハイ ニンジョウ すでにいとう ナンチュウのク コウガン なんぞ ホクチよりきたる
詠菊 菊を詠ず 黄巣(?〜884年)
待到秋来九月八 待ち到る 秋来九月八
我花開後百花殺 我が花 開く後 百花 殺れん
衝天香陣透長安 天を衝く香陣 長安に透り
満城尽帯黄金甲 満城 尽く帯ぶ 黄金の甲を
★キクをエイず コウソウ まちいたる シュウライ クガツハチ わがはな ひらくのち ヒャッカかれん テンをつくコウジン チョウアンにとおり マンジョウ ことごとくおぶ オウゴンのコウを
※黄巣は科挙に何度も落第し、後に「黄巣の乱」を起こした。
題不識庵撃機山圖 不識庵、機山を撃つの図に題す
頼山陽(1781年〜1832年)
鞭声粛々夜過河 鞭声粛粛 夜河を過る
暁見千兵擁大牙 暁に見る 千兵の大牙を擁するを
遺恨十年磨一剣 遺恨なり十年 一剣を磨き
流星光底逸長蛇 流星光底 長蛇を逸す
★フシキアン キザンをうつのズにダイす ライサンヨウ ベンセイシュクシュク よる かわをわたる あかつきにみる センペイのタイガをヨウするを イコンなりジュウネン イッケンをみがき リュウセイ コウテイ チョウダをイッす
※川中島の戦いの第四次合戦。永禄4年(1561年)九月十日(ユリウス暦では10月18日、グレゴリオ暦に換算すると10月28日)朝、上杉軍と武田軍の激闘開始。
九月十三夜 上杉謙信(1530年〜1578年)
霜満軍営秋気清 霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行過雁月三更 数行の過雁 月三更
越山併得能州景 越山 併せ得たり能州の景
遮莫家郷憶遠征 遮莫 家郷 遠征を憶う
★クガツジュウサンヤ うえすぎケンシン しもはグンエイにみちて シュウキきよし スウコウのカガン つきサンコウ エツザン あわせえたりノウシュウのケイ さもあらばあれ カキョウ エンセイをおもう
※頼山陽『日本外史』収録。謙信が、陥落間近の七尾城外で、天正五年九月十三日(西暦1577年10月24日)の夜、諸将と名月を眺めつつ詠じた漢詩とされる。
旅館聴鵑 旅館に鵑を聞く 武田信玄(1521年〜1573年)
空山緑樹雨晴辰 空山の緑樹 雨 晴れる辰
残月杜鵑呼夢頻 残月の杜鵑 夢を呼ぶこと頻りなり
旅館一声帰思切 旅館の一声 帰思切なり
天涯瞻恋蜀城春 天涯に瞻恋す 蜀城の春
★リョカンにほととぎすをきく たけだシンゲン クウザンのリョクジュ あめ はるるとき ザンゲツのトケン ゆめをよぶことしきりなり リョカンのイッセイ キシ セツなり テンガイにセンレンす ショクジョウのはる
※信玄が少年時代に作った漢詩。