朝日カルチャーセンター 千葉教室 教材 全3枚 加藤 徹 平成24年7月27日(金)
  夏から秋の漢詩                    今日は旧暦六月九日です
 
【五言律詩】「夏夜」 夏の夜
良寛(1758〜1831)
夏夜二三更  夏夜 二三更            二、三更=夜中すぎまでずっと
竹露滴柴扉  竹露 柴扉に滴る           柴扉=草庵の質素なとびら
西舎打臼罷  西舎 臼を打ち罷り
三径宿草滋  三径 宿草滋し                宿草=生い茂る雑草
蛙声遠還近  蛙声 遠く還た近く
蛍火低且飛  蛍火 低く且つ飛ぶ
寤言不能寝  寤めて言に寝ぬる能はず
撫枕思凄其  枕を撫して思ひ凄其たり
 
「なつのよ」。リョウカン。カヤ ニサンコウ。チクロ サイヒに したたる。セイシャ うすを うちおわり、サンケイ シュクソウ しげし。アセイ とおく また ちかく、ケイカ ひくく かつ とぶ。さめて ここに いぬるあたわず、マクラをブして おもいセイキたり。
 
【五言古詩】「我生何処来」 我が生は何処より来る
                                     良寛
我生何処来  我が生は何処より来り
去而何処之  去りて何処にか之く
独座蓬窗下  独り蓬窗の下に座して              蓬窗=草庵の窓
兀々静尋思  兀々として静かに尋思す      兀々=山のように不動のさま
尋思不知始  尋思するも始めを知らず
焉能知其終  焉んぞ能く其の終を知らんや
現在亦復然  現在も亦復た然り
展転総是空  展転 総べて是れ空             展転=寝返りをうつ
空中且有我  空の中に且く我れ有るのみ
況有是与非  況んや是と非と有らんや     まして良い悪いの違いがあろうか
不知容些子  如かず 些子を容れて           些子=ちっぽけな自分
随縁且従容  縁に随ひて且く従容たらんに
 
「わがセイはいずこよりきたる」。リョウカン。わがセイはいずこよりきたり、さりていずこにかゆく。 ひとりホウソウのモトにザして、コツコツとして しずかにジンシす。ジンシするも はじめをしらず、いずくんぞ よく そのおわりをしらんや。ゲンザイもまたしかり、テンテンすべてこれクウ。クウのウチに しばらくわれあるのみ、いわんや ゼとヒとあらんや。しかず、サシをいれて、エンにシタガいて しばらくショウヨウたらんに。
【参考】鉄鉢(てっぱつ)に明日の米あり夕涼(ゆうすずみ) 良寛
【五言絶句】「夜雨」
白居易(唐 772〜846)
早蛩啼復歇  早蛩 啼いて復た歇む              早蛩=コオロギ
残燈滅又明  残燈 滅又た明
隔窓知夜雨  窓を隔てて夜雨を知る
芭蕉先有声  芭蕉 先づ声あり
 
「ヤウ」。ハッキョイ。ソウキョウ ないて また やむ。ザントウ メツ また メイ。まどを へだてて ヤウをしる。バショウ まず こえあり。
   【参考】芭蕉葉は何になれとや秋の風 (『猿蓑』)
 
 
【五言律詩】「秦州雑詩二十首」其四            秦州=現在の甘粛省天水市
杜甫(唐 712〜770)
鼓角縁辺郡  鼓角 縁辺の郡        鼓角=太鼓と角笛。縁辺郡=辺境の郡。
川原欲夜時  川原 夜ならんと欲するの時      川原=川が流れる平原。
秋聴殷地発  秋に聴けば地に殷もして発り
風散入雲悲  風に散じて雲に入りて悲し
抱葉寒蝉静  葉を抱く寒蝉は静かに
帰山独鳥遅  山に帰る独鳥は遅し
万方声一慨  万方 声は一慨なり
吾道竟何之  吾が道は竟に何くにか之かんとする
 
「シンシュウゾウシ ニジッシュ」そのシ。トホ。コカク エンペンのグン、センゲン よるならんと ほっするのとき。あきにきけば チにどよもしておこり、かぜにサンじて くもにいりて かなし。はをいだく カンセンは しずかに、やまにかえる ドクチョウは おそし。バンポウ こえは イチガイなり、わがみちは ついに いずくにか ゆかんとする。
 
  【参考】秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (藤原敏行)
 
  【参考】ムンクの油絵「叫び」
 ムンクの日記より「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(wikipedia 2012/7/24閲覧)
【七言絶句】「海浜所見」
大正天皇(1879〜1916)
暮天散歩白沙頭  暮天 散歩す 白沙の頭
時見村童共戯遊  時に見る 村童の共に戯遊するを
喜彼生来能慣水  喜ぶ彼 生来 能く水に慣れ
小児乗桶大児舟  小児は桶に乗り 大児は舟
※皇太子時代、沼津での御製。
「カイヒン ショケン」。タイショウテンノウ。ボテン サンポす ハクサのほとり。ときにみる ソンドウの ともにギユウするを。よろこぶ かれ セイライ よく みずに なれ、ショウジは おけに のり ダイジは ふね。
 
 
【七言絶句】「夏夜追涼」   夏の夜、涼を追ふ
楊万里(南宋 1127〜1206)
夜熱依然午熱同   夜熱 依然として午熱に同じ
開門小立月明中  門を開いて小立す 月明の中
竹深樹密虫鳴処  竹深く樹密なり虫の鳴く処
時有微涼不是風   時に微涼有り 是れ風ならず
 
「なつのよ、リョウをおう」。ヨウバンリ。ヤネツ イゼンとしてゴネツにおなじ。モンをひらいてショウリツす ゲツメイのうち。たけふかく きミツなり むしのなくところ。ときにビリョウあり これかぜならず。
 
 
【七言絶句】「茶亭」
袁枚(清 1716〜1797)
茶亭幾度息労薪  茶亭に幾度か労薪を息はす        労薪=馬車の車脚
慚愧塵寰著此身  慚愧す 塵寰に此の身を著くを        塵寰=俗世間
輸与路傍三丈樹  輸す 路傍の三丈の樹              輸=負ける
陰他多少借涼人  他に陰する多少の涼を借るる人に    多少=何人か多くの
 
「チャテイ」。エンバイ。チャテイに いくたびか ロウシンを いこわす。ザンキす ジンカンに このみを おくを。ユす ロボウのサンジョウのき、かれにかげするタショウのリョウをかるるひとに。
 
○労薪…荀勗(じゅんきょく)が、西晋の武帝の前で食事を進められたとき、「これは労薪で炊いたものでしょう」と言った。皇帝が料理係にたずねると、果たして「古いぼろ車の脚を燃やして炊きました」と答えた。『晋書』および『世説新語』に見える。