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◆震災復興計画が残したアール・デコ

関東大震災で死亡した人の数は10万5千人、奇しくも第二次世界大戦期の東京への空襲で確認された死亡者数10万5400人とほぼ同数です。

東京大空襲の残像として、先にあげた戦災樹木がありますが、関東大震災に関してはより多くの歴史遺産を確認することができます。

都市計画や建築の分野では「復興小学校」がよく知られています。実は、あまり知られていませんが、もっと身近に数多く残っている関東大震災関連の遺産があります。それは震災復興計画の時に架けられた橋の橋詰、より正確に言うと欄干柱のデザインです。
橋梁自体は第二次大戦時に落ちてしまったものも少なくないのですが、欄干柱は現在まで残っているものが少なくありません。
推測するに、震災復興するにあたって当時の橋梁技術者達は、最新のデザインを採用しようとしたのではないかと考えられます。限られた予算で実現できなかった計画がほとんどと伝えられる震災復興計画ではありますが、予算はかけずともデザインで心意気を示したのではないかと想像されます。

震災復興計画が画策された1920年代は、いわゆるアメリカの「古き良き時代」といわれる「ジャズ・エイジ」でした。
そしてあらゆるところに採用されたのが、パリ発の当時最先端のデザインであるアール・デコでした。

関東大震災で甚大な被害を被った東京の下町に、当時全盛期のアール・デコのデザインが見られるというのは、興味深くあると同時に、デザインの文化的、歴史的面白さをも伝えているように思われます。