Cemetery


21世紀に入り、少子高齢化社会がいよいよ現実のものとなってきました。社会に様々な歪みを感じつつも現状を変えようとしない日本人の姿は、「茹でガエル」のようだと称されます。
ここで取り上げる墓地の問題も、近代化を進め、戦後復興を遂げ、西洋諸国に追いつこうとした日本が、置き去りにしてきた問題の一つであると考えられます。

その一方で、「墓地は社会の鏡」といわれます。
世界の墓地を巡っていると、墓地がその実社会の様相を映すものであることが、手にとるようによく分かります。
民族の死生観を表現する墓地(スェーデン)、合理性と美しさを追求する墓地(オランダ)、歴史と芸術性を融合させようとする墓地(イタリア)等々、その社会が目指してきたものと墓地の形態は、面白いほどリンクして見えるものです。

では、我が日本の墓地はどうかと言えば、清潔で安全ではあるものの、目指す思想的なものは何も感じられません。
上っ面はきれいだが中身がない、正に日本社会の鏡のような感じもします。

コロナ後の社会は大きく変わるといわれています。

日本が表層的、近視眼的な経済的繁栄のみを求めた時代は、終わりにしなければならないでしょう。その象徴として、社会の鏡として、我々日本人の終の棲家としての墓地を考えるよい機会ではないでしょうか。