2003913

日本心理学会ワークショップ「心理学の哲学の誕生」

 

指定討論者:石川幹人(非会員)

http://www.isc.meiji.ac.jp/~ishikawa/

東京工業大学理学部応用物理学科卒.同大学院,松下電器産業(株)東京研究所,(財)新世代コンピュータ技術開発機構などを経て,現在明治大学文学部教授.博士(工学).専門は知能情報学.人工知能学会(前評議員),認知科学会(前常任運営委員),情報文化学会(現評議員),情報処理学会,認知心理学会,行動計量学会,理論心理学会,科学基礎論学会などの会員.最近では心の哲学者であるデネットやマッギンの著書の翻訳も手がけている.

 

 

「現代ロボット研究にもっと哲学を」

 

1980年代に人工知能研究が全盛であったころ、また同時に壁が見えてきたころ、人工知能にまつわる哲学的議論は極めて盛んであった。心理学や哲学でのイメージ論争やコネクショニズムの議論は、人工知能の分野では、機械の内部表現の形式を記号にすべきかコネクションにすべきかの議論となった。両者にはそれぞれ利点と欠点とがあるが、現在の人工知能では、記号とコネクションのハイブリッドなシステムの開発を目指す方向に落ち着いてきた感がある。

 また、ドレイファスやサールなどの哲学者が、現象学や意味論の立場から人工知能不可能論を展開するなかで、不可能論に転向するウィノグラードなどの工学者も現れ、人工知能研究者は危機感を持った。当時の人工知能は壁に直面するなかで、哲学者の動向も無視できない状況であったと言えよう。最近の人工知能は、生態学主義の観点を取り入れ、環境や身体を重視した人工生命やロボットの研究へとシフトしている。

 人工知能の分野で発覚した、常識的な知識を記述し処理するうえでの計算量の問題(フレーム問題)については、哲学の分野でこれまで考えられてなかった新しい構成論上の問題として、哲学の分野への刺激的な話題となった。日本では、哲学者の黒崎政男がとくに注目して議論した。人工知能研究がコネクショニズムを取り入れても、人工生命へと転回しても、計算量の問題は「学習効率の問題」や「進化効率の問題」に形を変えて依然として残っている。

 

 かつてのような人工知能と哲学の分野の交流は、少なくとも現在の日本では、希薄になりつつある。認知科学会誌の本年3月号の巻頭言「もっと哲学を」で情報工学者の中島秀之は、「情報とは何か,情報を処理するとはどういうことか,何の役にたつのか,情報処理分野の研究手法は何か,どのようなシステムを構築すれば人間の認知活動を援助・補強できるのか等々.このようなことを日頃議論する研究者が日本には少ない.人工知能は情報処理の中でもこのような哲学的側面が強い学問分野だが、そこですら最近は哲学が失われつつあるように思う」と、そうした状況を憂慮し、改善を呼びかけている。

 では、人工知能と哲学の分野の交流が希薄になってきた原因はなんだろうか。かつては、すぐにでも人間に匹敵するコンピュータシステムができるかもしれないと思われたのが、そうではなくなったのが、主因だろう。身体をもって動き回りながら環境に適応して学習する機械や、社会性を伴い感情を表現しながら人間コミュニティに参画する機械をつくるには、ハードウェアレベルの開発項目が山積している。哲学的な議論の前に目先の仕事をこなす必要があるというわけだ。しかし、それは本来逆であるべきだ。目先の仕事に多額のコストがかかるのであれば、とりわけ、その仕事が達成された後の展開を十分正確に予測する必要があるというものだ。かつてのような哲学の議論は、いまでもなお、前にも増して重要なのである。

 

 人工知能学会誌の最新号(本年9月号)では、「機械学習,それが人に及ばざる理由」という特集が掲載された。企画者である心理学者の今井むつみは、「人工知能の分野も認知科学の分野も,研究が進むにつれ専門化・細分化が進んだ.学会のセッションや研究会も細分化された分野ごとに開かれることが多くなった.(…中略…)専門の近い研究者の集まりでは,『そもそも学習をどのように定義するか』,『人と機械の学習メカニズムはどう違うのか』,『機械が学習することのメリットとデメリットは何か』,『人の学習のメカニズムを機械学習の参考にすべきかどうか』などという素朴な疑問について正面きって議論する機会があまりなくなったように思う」と企画の趣旨を述べている。特集では14名の人工知能研究者(一部は心理学者)が、自分の研究を振り返ってその素朴な疑問に可能な範囲で答える形式になっている。内容を見ると、個々には深化した学習技術も見られるが、研究分野全体の模索状態は、依然として10年前と同様のように感じられる。この特集に哲学者も加わっていたら、もっと発展性があったのでは、とも思う。

 一方、司会者や話題提供者の方々が編集・執筆された『心理学の哲学』(北大路書房)では、「認知革命と『心の哲学』」と題した章に、哲学者の方々による人工知能に関連する論説が掲載されている。こちらの議論は逆に、もっと人工知能研究に踏み込んだ議論をしていただきたいと感じる。具体的には、身体をもち環境に適応進化するロボットの研究や、感情を表現して社会性を備えたロボットの研究は、現状の路線でいいのか。愛玩ロボットAIBOが突然賢く成長することはありえるのだろうか。脳の神経生理学をもとにした人工知能研究は、今後発展するだろうか。人間の発達過程を模擬した人工知能は、見込みがあるのか…。多角化した人工知能の研究に、哲学が方向付けを与えることが期待される。

 研究の細分化にともない、心理学の哲学、情報工学の哲学、生物学の哲学などと、各分野での哲学者の貢献が望まれる時代になったのではなかろうか。そうした時代に対応する制度作りが、いま求められているように思う。

 

 

以上