コリン・マッギン著「意識の<神秘>は解明できるか」概要

石川幹人(明治大学文学部)

 

第1章 意識――いまだ解明されざるもの

 

意識とは:意識感覚、知覚力、感情、思考、内観、自己感知など。

自分が意識をもっているのは疑いえない事実である。(議論の出発点)

 

「心身問題」:意識が脳に基盤をおいていることもまた確かである。進化の過程は、脳の形成とあいまって意識をもつ生物を生みだした。生物学的に意識は毎日のように生成されている。一方で、物質としての脳から意識が生まれる仕組みは理解できていない。

 

「心身問題」をいかに解決するかが、積年の哲学の課題であった。

 

唯物論による解決:すべては物である。(通常科学的見方)

しかし、内観は誤りと錯覚の源泉だとなり、結局、私たちに意識はなかったのだとされるような、奇妙さがつきまとう。物に還元して理解することでは満足できない。「水」は「H2O」と同じではないように、「痛み」は「C細胞繊維の発火」と同じでない。白黒部屋で育った物理学者は、その部屋から出ることで「色の経験」を新たに学ぶのではないか。「コウモリである」ということは、コウモリにならないと理解できないではないか。

既知の物質的特性で心が脳に由来するとした点で唯物論は誤り。

 

二元論による解決:心と脳は別ものである。(通俗的・常識的見方)

しかし、それでは心と脳の関係が不明瞭である。心が必要ない、物だけからなる賢いゾンビがどこまでも許されてしまう(ゾンビ問題)。また一方、心は身体を離れてどこにでも存在しえるようになってしまう(幽霊問題)。

心と脳とをあまりにも切り離してしまった点で二元論は誤りである。

 

マッギンの解決 → 心は未知の特性で、脳に立脚する。

 

第2章      自然の神秘と片寄った心

 

心身問題の解決にまつわる困難は、人間の理解力の構造的制約から生じる。

 

無知の知:私たちには知りえないことがたくさんある。「かつて存在した恐竜の数」は分からないし、自分の経験が「桶のなかの脳」が経験していることでないとは明言できない。いずれ森羅万象を理解できると思うのは傲慢である。

 

人間の知能の研究から判明した次の諸点は、私たちの理解に限界があることを示す。

      私たちは生まれながらに、ある種の認知的能力の構造をもっている。(生得性)

      その認知的能力の構造は、10種類程度の独立したものに分けられる。(モジュール性)

      それらの能力は、進化の過程で備わったものであり、ある種の片寄りがある。(環境適応性)

 

コグニティブ・クロージャー:科学や哲学も、こうした実用的に備わった能力の単なる副産物にちがいない。ゆえに環境特異的であり、片寄りがある。心身問題はこの認知的限界にかかっている可能性がある。もしそうならば、心と脳とを結ぶ未知の特性は理解しえない。

 

私たちの理解の限界:心は、内観的感知でしか分からない。一方、脳は、外観の観察でしか分からない。ここに深刻な分断がある。心身問題の解決には、内観的に感知でき、かつ外的に観察可能な特性が必要である。

 

私たちの理解の片寄り:外界認識は、つねに組合せ的世界把握に片寄っている。それは、空間知覚と言語能力にふさわしい認知構造として私たちに備わった。脳から心が生まれる様式は、この組合せ的モデルでは理解できない。実際、それ以外のモデルは何ら存在していない。

 

意識は素朴な動物でさえもっているような単純なものだが、私たちの理解を超えている。

 

第3章      神、霊魂、平行宇宙

 

意識の起源:宇宙には、次の4種の実体があるが、それぞれに起源が必要である。

      自然物体――素粒子から構成された

      生物体――進化の過程でデザインされた

      人工物――人間によってデザインされた

      意識をもつ存在――??? (どう説明されるべきか)

 

有神論的二元論:意識をもつ存在を、神というものがデザインしたという考え。

しかし、それでは神自体はどのようにデザインされたかという問題に先送りされるだけである。意識の発生が神の手になるわざであるとすると、脳が重要になっている事実が奇妙である。

 

超二元論:物質宇宙と平行した心的宇宙があり、そこに意識があるという考え。

物質宇宙が生物進化をもたらし、脳ができたところで、心的宇宙に穴が通じたとなるが、心的宇宙から物質宇宙への因果性がなぜ脳だけから働くかは説明されない。また、心的宇宙において、どのように意識が生まれるかも問題となる。

 

強い汎心論:あらゆる物質は、それ自体、意識的状態をもつという考え。

しかし、物質の挙動は、そこに意識的状態はないとしてまったくうまく予測される。なぜ私たちの意識状態だけが、行動に影響するものとなるのか疑問である。また、そうした意識状態に、なぜ脳が必要なのかも説明されない。

 

弱い汎心論:あらゆる物質は心的性質をもつが、意識レベルの差があるという考え。

岩は原心的状態をもつというが、どのようにして、原心的状態から真の心的状態が生まれるのかが疑問である。その過程で、脳はどのような役割を果たすのかも説明されない。

 

普遍的唯心論:物と見えるのは幻想で、あらゆるものは心的であるという考え。

脳の心的特性から、いかに意識の心的特性が生まれるかという問題に言い換えられるだけ。

 

一元論的に考えると、私たちが理解できないことは次の2つである。

意識を生みだす根源となる、物質一般がもつ特性。

脳という特定の状況で意識が生まれる、脳固有の特性。

 

第4章      心の空間

 

「物理的空間における脳」から意識へアプローチする際の、限界を考えてみよう。

 

空間問題:私たちの知覚は空間にとらわれている。それは、世界を構成する物質が空間的であるからである。脳は特定の領域を占める三次元物体であるが、意識それ自体は、空間的ではない。では、どうして空間的なものから、非空間的な意識が生まれるのだろう。

 

この空間問題を、安易に避ける旧来の論は受け入れられない。

唯物論:意識は脳そのものであり、空間的なものである。

二元論:意識は別ものであり、脳から生まれたりはしない。

 

空間問題の解決:ビッグバンによって非空間から空間が生まれたのであれば、脳において空間から非空間が生まれてもよいではないか。ことによると、私たちの空間概念自体が片寄っていて、真の空間概念では、意識も「空間的」であるかもしれない。

 

空間問題解決の限界:物理学の歴史は、空間概念の改訂の歴史でもある。新しい物理概念で空間問題が解決される道があるかもしれないが、そうした概念は、できたとしても、それが理解可能なように、私たちはデザインされていない可能性が高い。

 

第5章      自己にまつわる秘密

 

「内観における意識感覚」から脳へアプローチする際の、限界を考えてみよう。

 

意識のうちには、内観には現れない、隠れた構造がある。それは、無意識とは別なもので、意識を支える意識の一部である。隠れた構造があることは、次の事実で分かる。

論理:表層の文法構造から外れた論理形式を、私たちは理解している。

盲視:自覚的には見えていないときも、見えていることがある。

 

内観による意識理解の限界:意識の隠れた構造が、脳のなかに意識を具現化する役割を担っているのだろうが、その構造は内観には明らかになっていない。

 

自己理解の限界:自己についても、同様な理解の限界がある。脳を分離したら自己は増えるのか。記憶が消失あるいは変性したら、自己の一貫性を失うのか。身体の構成粒子がそっくり入れ換わったら自己はどうなるのか。自己の始まりや終わりも決定できない。自己の隠れた構造における何かが、その統一性と同一性を決めているのだ。

 

自由理解の限界:自由についても、同様な理解の限界がある。私たちの行動が物理的因果で決まるとすれば、自由意志はないことになる。自由意志が成立するためには、物理的因果には含まれない心的因果性を認める必要がある。心的因果性とは、まさに心と脳とを結ぶ何かである。

 

第6章      ロボットは憂うつを身につけられるか

 

機械は意識をもちえるかを考える際にも、限界がつきまとう。

 

現在のコンピュータは、意識をもちえない。

      記号操作をするだけのアルゴリズムでは、意味を扱えないので意識はもちえない。

      シミュレーションは純粋に模倣であり、真に意識をもつのではない。

      チューリングテストは、意識をもつことの必要条件でも十分条件でもない。

 

物理法則に従う機械は意識をもちえるか。

      身体や脳はこの意味で機械であるから、この疑問に対する答えはYESである。

      自然に進化した生物であろうが、人工物であろうが、意識をもちえる。

 

問題は、どんな特性が意識を生みだすのに必要かである。それが分かれば、機械にその特性があるかないかを調べればよい。しかし、それこそが分からない当のものであったのだ。私たちは、機械はおろか、人間の他者に意識があるかどうかも分からない。意識なしで機械はどこまでできるかというのも、同じ問題をはらんでいる。

 

第7章      哲学の耐えられない重さ

 

自然哲学:自然界の究極原理を物質や意識を含めて理解すること

元来、科学と哲学とは、自然哲学のうちに一緒にあったのだ。その思想史をふりかえると、自然に関する哲学的な営みのうち、私たちの認知の形態に合致したものだけが科学として成立し、心身問題が難問として哲学のうちに取り残された。

 

展望:心身問題は、心の概念と、脳の概念がともに拡張し、両者の間に必然的な結合が成立したときに解決する。その概念装置は、現在の私たちには欠けている。その概念装置を身につけるには、脳をつくり変える必要がある。遺伝子工学でそれが実現できる可能性がある。だが、心身問題が解決できる脳は、普通の生活ができない脳である危険性がある。私たち自身を奇怪な生物にしてしまうかもしれない。

 

心身問題の鍵は、遺伝子にある。

私たちの遺伝子は、脳を形成し、意識をもつ動物や人間を安定的に生成している。すなわち、遺伝子は、意識の本質を実践的に理解している「哲学者」であると言える。

 

以上

 

 

 

おわりに

 

意識の進化研究のポイント(by石川)

 

(1)   眼の進化研究と比べてどこが難しいか。

眼:眼を構成する遺伝子 → 眼の機構

意識:脳を構成する遺伝子 → 脳の機能 → 意識

(脳機能を飛び越して、遺伝子と認知能力との相関を考えられるか)

 

(2)   コグニティブ・クロージャーの克服

人間に平均的に限界があるとしても、個体多様性もあるだろう。

意識の客体化研究:携帯用自己脳スキャン装置

組合せ的な捉え方を脱した物理学的研究

 

 


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