書評:「量子進化〜脳と進化の謎を量子力学が解く!」Johnjoe McFadden 著/斎藤 成也 監訳/共立出版

蛋白質・核酸・酵素, Vol.49, No.2, pp.186-187 (2004)に掲載


ついに出たか、というセンセーショナルな本である。本誌の読者の方々は、突然変異と自然選択にもとづく進化の原理に疑問をもったことはないだろうか。私はかねてより違和感をもってきた。

私の専門はコンピュータであり、かつて遺伝的アルゴリズムという、進化の原理をもとにした問題解決システムの開発に取り組んでいた。大型コンピュータのなかでは、何万世代という世代交代に相当するシミュレーションが短時間で行なえ、結果が算出される。いわば、何億年もの進化の歴史がコンピュータ上に実現できるのだ。しかし、人間にとって有用な問題解決は容易ではない。遺伝的アルゴリズムをうまく働かせるためには、「遺伝子」が問題をどのように表現しているかを、その都度問題ごとに「設計」しなければならない。

問題設計の場面では、抽象的な問題空間の広さと形状を算出し、コンピュータの計算パワーに見合う計算量の範囲内におさまるように、遺伝子型と表現型の対応づけを決めるのである。この計算量の検討では、とてつもない組合せの数が扱われる。宇宙にある全原子がビッグバン以来の120億年間計算したとしても解けないなどと、絶望的な検討結果が出るのもよくあることである。

そうしてみると、現実の生物遺伝子はよくできている。地球の表面で、わずかに35億年くらいで生物が適度に進化し続けているのである。問題解決システムの開発のように、問題ごとに「遺伝子」を設計しなおすこともない。生物進化の原理が、無作為な突然変異と自然選択だけならば、遺伝的アルゴリズムはもっとうまく働いていいはずだというのが、私の実感であった。

「量子進化」は、進化の過程に未知の量子物理的な機構が積極的にかかわっていると想定する。そこでは可能な状態の重ね合わせから、適応的な状態へと確定していく様子が描かれる。著者のマクファデンが期待を寄せているのは、逆量子ゼノン効果と内部観測である。著者の描く描像は必ずしも明瞭ではないが、コンピュータ分野で最近話題の量子コンピュータと類似した構造がそこに見られる。量子コンピュータは技術的には未知数だが、計算量の問題を根本的に改善する可能性があり、進化にも同様な仕組みが潜在しているとなれば、私の違和感も氷解することになる。

最後に、本書の読み方について一言つけ加えておこう。私が2年前に本書の原書を手に取ったときは、こんなに分厚い本は邦訳されないだろうと思った。それが、これほどコンパクトな訳書として1800円で出版されたのは、素直な驚きであった。400ページを超える内容を薄手の紙を使って適度な厚みにおさめた工夫にも、出版社の努力が見てとれる。だから、簡単に読み尽くせると思って読みはじめると、イライラした気分になるかもしれない。本誌の読者であれば、生物の話題をジャンプして第7章から読み始めるとよい。さらに物理学の知識がある方は、もう3章分ジャンプできる。本書の中核的な話題は第10章以降に登場する。もちろん最初から読み進んで、科学的探究の歴史と生命進化の神秘を味わうのもおすすめである。


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明治大学文学部 石川幹人