書評:「マインド−認知科学入門」Paul Thagard 著/松原 仁 監訳/共立出版

コンピュータサイエンス誌 bit, Vol.31, No.5 (1999) に掲載


コンピュータのプログラミングの勉強をはじめると、そのうちに、なんとかコンピュータを人間のように賢くしたいものだ、という思いにかられる。少し経験のある先輩諸氏に相談すると、「ニューラルネットワークで学習させよう」とか、「事例をたくさん集めてデータベース化せよ」とか、「まずは、論理学の勉強から入るべきだ」とかと、アドバイスされる。どの忠告も的を得ているようで、果たして自分はどうすべきなのかと、混乱してしまう。

こうした混乱をおぼえた方々には、本書がおすすめである。本書では、認知科学の諸々のアプローチが、きわめて明解に整理されている。本書の前半部では、6つのアプローチ(論理、ルール、概念、類推、イメージ、コネクション)がもつ利点と欠点とが詳述されている。すなわち、心のモデルをつくりあげるうえで重要となる5つの観点(表象能力、計算能力、心理学的妥当性、神経科学的妥当性、応用可能性)が、それぞれのアプローチについて論じられているのである。

そして、それらの議論は第8章「総論と評価」にまとめられている。議論の骨子を一望したい方は、最初にこの章を読まれるのがよいだろう。結論を一言で述べると、認知科学の諸々のアプローチには、どれも本質的な限界があり、認知科学は、まだ統一的な理論を構築できてない、ということである。著者の言葉を借りれば、「心とはどんなシステムか?」という卒業試験問題に対する現時点における最善の解答は、「上の6つのシステム全部である」となるのだ。

本書の後半部では、表象と計算を基盤とする認知科学のアプローチに対する批判を整理している。それらは、6つの立場(感情、意識、実世界、社会、ダイナミックシステム、数学)からの挑戦として解説される。また、各々の挑戦に対してなされる認知科学からの再批判が、次の4つのタイプに分類、提示されている。(1)挑戦の根本的主張を「否定」する場合、(2)新たな計算と表象のアイデアを「拡張」して対抗する場合、(3)非計算、非表象的な考え方を「補足」して対抗する場合、(4)表象と計算を基盤とする考え方を「放棄」する場合である。

最終章「認知科学の未来」では、いかに心が働くかということが、人間が今までに取り組んできた「最大のパズル」であるとしている。そして、このパズルの各ピースは、多くの領域からの貢献を必要とするのだという。本書の表紙のデザインも、このパズルのメタファに基づいている。つまり、認知科学における難しい問題の解決には、心理学的、計算論的、神経科学的、哲学的、言語学的、人類学的研究の統合が、不可欠なのだ。

著者は、この統合形態を3つあげている。第1に、研究者どうしが新たな「学際的統合」を目指して交流すること、第2に、さまざまな領域の方法によって収集されたデータを互いに参照しあう「実験的統合」を指向すること、第3に、計算論的考え方と、シミュレーションを通して「理論的統合」をはかっていくことである。

本書の最後は、「認知科学における多くの興味深いプロジェクトは、新しい研究者を待ち望んでいる。」という言葉で締めくくられる。bitの読者のなかから、本書を入り口として、「最大のパズル」に挑戦される方が現れることを期待してやまない。


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明治大学文学部 石川幹人