心と認知の情報学

―ロボットをつくる・人間を知る―


■ 著者:石川幹人

■ 定価:本体2100円+税

■ 体裁:A5、215ページ

■ 出版社:勁草書房


「はしがき」より

 本書のタイトルは「心と認知の情報学」である。このタイトルは、「心」と「認知の情報学」とも読めるし、「心の情報学」と「認知の情報学」とも読める。じつは両方の意味をこめているのである。「心」の探究に向けて「認知の情報学」を起点に挑戦して行くという方向性と、「認知の情報学」が発展してやがて「心の情報学」として実を結んでいくという目標である。
 すでに西垣通によって『こころの情報学』(ちくま新書、一九九九年)という包括的な啓蒙書が発刊されている。それに対し本書は、タイトルが示すように、「認知」に重きをおいて、半世紀ほどの歴史をもつ認知科学を基盤に、「情報」の観点から機械、生物、人間、社会、そして意識へと、研究が展開していく必然性をあぶり出して行く。
 本論に入る前に「情報学」という概念を明確にしておこう。西垣(前掲書)によると、「情報」とは「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」(三二頁)あるいは「生命の意味作用」(二二一頁)とされる。「パターン」とは、文字や絵などの表現であり、つきつめて考えれば「ものの配置」である。それが別のパターンをつくり出したり、意味作用をひきおこしたりするのであれば、「ものの配置を解釈する存在」が必要である。通常生命や生物が、その「解釈する存在」なのである。すなわち、「情報」についての研究(情報学)は、たんにパターンそれ自体や、パターンを運んだり蓄積したりする研究(IT研究や情報工学)にとどまらない。むしろパターンの解釈はどのように行われ、次のパターンは何を目的にしてどのように生成されるのか、という観点が重要なのである。パターンによってつなげられた「解釈する存在の集まり」の挙動は、さらに興味深い。こうして情報学は、解釈する存在の研究(生物学や心理学)と接続し、また、解釈する存在の集まりの研究(コミュニケーション学や社会学)と接続しながら、パターンを中心として連関するもろもろの事象を統合的に論じる「システムの研究」へと発展するのである。
 本書では、心をもつ機械を、そしてロボットをつくろうという営みが必然的に、人間とはどういった存在かを明らかにしていく過程につながることを、具体的な研究事例から説得的に示していく。その過程には、人類がどのように生まれて来たかという生物学的な歴史の考察や、人間がなぜ集団を形成するかという人間同士の社会的な結びつきの考察が含まれる。それらの考察のなかから人間の心(意識)の役割をひき出し、あわせて将来の情報ネットワーク社会における意識のあり方を展望する。
 第T部では、心をもつ機械を製作しようという失敗つづきの試みから、われわれの心やわれわれ自身をとらえ直す。まず、実現目標となる心の概念が相対的かつ社会的性格をもつことを示し、達成目標が見方によって変化する実態を明らかにする。達成目標を小さく制限しても、そこには言語の状況性や知識の全体性などが立ちはだかり、機械的な実現がままならない。この問題の核心はコンピュータにおける「計算量の爆発」である。ところが人間は、ある種の大局観なるものを発揮することで、この問題にそこそこうまく対処しているようである。
 近年の量子理論の発展により、あらたに量子コンピュータが提案されている。量子コンピュータを使えば、計算量の爆発をおこさずにすむ可能性がある。人間は量子コンピュータであると言えるのだろうか。もし量子理論を導入するならば、あらゆるものが一体化する世界や、観測者として物に働きかける心といった斬新な考え方を検討せねばならない。こうした考え方は、心じたいを世界から切り離して考えるのでなく、世界と一体となったものとして把握するように、検討目標の転換をうながす。第T部全体を通して、人間のような心をもつ機械を製作するよりもさきに、人間や心を環境世界のなかで生態学的にとらえたり、進化の過程のなかで歴史的に位置づけたりすることが必要だという方向性を示す。
 第U部では、生物進化の歴史的検討や生態学的検討をとおして、意識がコミュニケーションにおける他者と自己とのインターフェースの役割を果たしていることをつきとめる。生物進化の階層分類にしたがって見ていくと、環境に適応して進化する生物は、神経系による学習機能を身につけたところで飛躍的に向上したと考えられる。哺乳類では、その神経系が脳というかたちで高度化し、外界モデルを内的に形成するようになった。人間においては、さらに大脳が形成されて複雑化し、多種多様な認知能力を身につけていった。その結果、遺伝子が大きく異なるヘテロな個体同士が協力して集団を築くようになったのである。そこでは、個体の利益と集団の利益の相反がおこったことで、利害調整が必要となったのだと言えよう。コミュニケーションの過程を通して、社会的な他者と自己との関係が要請されるところで、調整役としての意識が現れるのである。意識の部分性・統一性・主体性などの諸性質は、いずれもこの調整役を演じるためにある。
 ところが意識は、一万年前の一五〇人までの集団用にデザインされたものであり、現代の大規模なコミュニケーションにはうまく適応できていない。最近の情報ネットワーク社会は、さらに意識の役割を軽視する方向へと向かうことで、社会的問題をひきおこしている。第U部では最終的に、われわれには情報メディア技術を認知能力の向上に利用することで理想的なネットワークコミュニティを実現する道があるという、将来の展望を見いだしていくことにしたい。


読者からの指摘事項

(1)ところどころ記述が簡単すぎる部分がある
 大学の授業で使用するため、学生さんが2000円程度で購入できることを目指したので、そのようになっています。授業の場では説明を補うのですが、一般読者の方は申し訳ないですが掲載の参考文献などで補ってください。

(2)20ページ、Cが正しくないという推論は「帰納」に当たらないのではないか
 正しいことを演繹する推論に対して、誤っているかもしれない仮説を形成するための推論には、帰納、発想、類推、洞察などがあり、論理学では多くの議論があります。本書では、細かな議論に立ち入らないために、その仮説形成のための推論を、「演繹的推論」に対して「帰納的推論」と一括して表現しています。本書と同様の表現はほかに、たとえば『ヒルガードの心理学』の第9章内のinductive reasoningの箇所に見られます。

(3)71ページ、アインシュタインは光電効果自体を発見したのではない
 これは、うっかり筆がすべりました。アインシュタインは理論家ですので、光電効果という実験的現象を発見したはずがなく、その現象の「解釈」として、光の最小単位である光子を理論的に発見したのです。だから、2行目:「現象を見つけた」⇒「現象の適切な説明を見つけた」、注(3):「光電効果の発見」⇒「光電効果を説明する光子の発見」、などと増刷時に訂正します。

(4)92ページ、「ニーチェ」は「ハイデガー」のほうがよいのではないか
 はい、ハイデガーを想像しながら、誤ってニーチェとしてしまいました。「世界内存在」を言ったのはハイデガーです(『マインド』では99ページ)し、ついでに言うなら51ページの注(4)のウィノグラードに大きな影響を与え、人工知能の研究に疑問を抱かせるきっかけとなったのもハイデガーです。増刷時に索引の人名と合わせて訂正します。

(5)135ページ、ロボトミーがロボットの派生語なのだろうと読めてしまう
 これは授業時の雑談用にとっておこうと思い、あえて注におこさなかったのですが、一般読者が誤解するといけませんので、ここに記しておきます。ロボットrobotは20世紀のチェコの劇がもとになっており、語源はチェコ語です。ロボトミーlobotomyは丸い突出物lobe(脳の「頭葉」を指す。また耳たぶはearlobeという)を切除するotomy(to cut)という意味で、語源はギリシャ語です。そもそも単語の始まりがRとLで発音が違います。

謝辞:ご指摘をいただいた、友人のAさん、Iさん、Hさん、ありがとう。


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