明治大学 2012年の春、三度志願者日本一
― 新たな評価ステージへのスタート ―
2012年の春、明治大学は、一昨年から引き続き三度、志願者数日本一に輝きました。113,320名、昨年の113,905名より585名の僅減でした。因みに、二位との差は4,793名で、一昨年の185名、昨年の252名と比べ、格段に大きな差となりました。 明治大学志願者数日本一に対する評論は、まず、「不況原因説」で始まりました。昨年の場合も、ほぼ同様の論調でしたし、今年にあっても、そうした評論が影を潜めた訳ではありません。しかし、三度続いて一位になったことは、そうした消極的な外因的説明だけでは評価し切れない、より積極的な原因を求めて分析する必要性に触れた解説、論調を導き出す、変化をもたらしました。これは、日本一になったことで「明治大学とは、どのような大学なのか」と、改めて世間の耳目を引くようになったこと、そして何よりも、受験界自身の意識が大きく変わりつつある時代になって来ているということ、このことが大きく影響していることは間違いありません。 東日本大震災の年、明治大学は創立130周年を迎えて、新たな舞台「世界へ! 」を宣言しました。明治維新以来、わが国は海外からの様々な考え方、物品、様式の輸入によって、まさしく文明開化の歴史を辿って参りました。このことは、大学という場においても変わりなく、否、むしろ他の分野よりも遥かに強く特徴づけられて来たと言っても過言ではありせん。しかし、そうした在り方が大きく限界に直面して、今や、新たな選択が不可欠になっているということ、この事実を見逃してはなりません。まして、先進性が強く求められる大学という存在にあって、このことは、刻下急務の課題と言って差し支えありません。 学問は、ひとり一国、一地域の繁栄を求める手段としてではなく、人類全体のサステナビリティ、人間社会のより良い在り方を求めて、共に研鑽すべき共通の手立てとしてあるべきものです。そして、大学は、そうした人間社会共通の課題に先進的に取り組む、知的最前線にある役割を担っているのです。その意味で、明治大学が「世界へ! 」を宣したということは、人間社会において求められる大学本来の在り方へと、更に大きく前進することを、宣言したということに他なりません。そして、多くの志願者は、日本一が続く明治大学に対して、世界に伍していける成人としての大学の姿を、無意識の内に感じ始めているのかも知れません。 そのことは、ひとり明治大学の問題というよりも、日本社会全体に通底する求められる21世紀的な在り方への課題と言うべきものに他なりません。明治大学が日本社会の諸特徴を最もよく反映した大学であるということは、これまでも度々触れて来たところですが、そのことが、今、正に明治大学の行動を動機づけているのではないかということ、そう感得されるのです。それは、単に「世界の標準」に合わせるといったような単純なものではありません。永い歴史の中で培われてきたその国、その地域、その社会固有の文化,姿を否定することなく、世界の中でしっかりと発言し、行動していくということ、このことなのです。鎖国の扉が開かれてから百数十年、日本は、世界のあらゆる国、地域から膨大な知識、情報を収集して、参考にし利用しながら今日まで発展して参りました。そのノウハウ、経験、成果は、ひとり日本社会のためだけではなく、世界に還元されるべき人間社会共通の貴重な知的資産として蓄積されているという事実、このことを自覚しなければなりません。 「明治大学が動けば、日本が動く」と、この考えは、ゼミ、OB・OG会の場で、あるいは、その他いろいろな機会に述べて参りました。憶えていらっしゃる方も多いかと思います。明治大学が「世界へ! 」と旗幟を鮮明にしたということは、正に日本社会の進むべき路を強く示唆した象徴的な行動、選択であるということ、このことを表していると言っても過言ではありません。明治大学は、そして、日本は、新たなステージへのスタートを切ったのです。 そこでは、これまでの評価基準とは大きく異なる多様な要素が絡み合い、融合して、更に新たな評価基準が創造される時代を迎えています。既に在るかのように言われている「世界基準、世界標準」等といったものは、それ自身が大きく改訂されなければならない過去の産物になりつつあります。グローバルな時代の基準とは、ある特定の地域、文化、歴史に支配されたような規準に拠るものであってはなりません。正に多様性こそが、新たな時代の規準、パラダイムを形成するための共通の基本的認識でなければなりません。このことは、人間社会の歴史という狭い領域を遥かに超えた地球上にある全ての生命の歴史に遡及して、人類のサステナビリティを大きく展望することの出来る未来型の規準でなければならないことを意味しています。この規準こそが新たな時代の評価指標、「世界基準、世界標準」を創り上げていく基礎に他なりません。 多様性、それは生命のサステナビリティを規定する第一次規準であり、そこにこそ、個別主体の実存性と共に、分業と競争のメリットを結び付けて、進化的に展開する生命活動連鎖の歴史が保障されて来ました。人類史上、空前の発展紀であるべき21世紀を特徴づける規準が、この多様性にあることは、疑う余地がありません。言い換えれば、特定の狭い論理・歴史に依拠した規準は、もはや、世界基準を形成する基礎たり得ないこと、このことを物語っているのです。そして、この生命の多様性は、mildで moderate、modestな環境の中でこそ最もよく育まれる繁栄の在り方であり、いたずらに激しく、野卑な、他を排斥するような偏狭な環境の下では、決して育たないナイーブな特性を持ったものであることを理解しておく必要があります。世界基準、世界標準とは、そうしたことを深く配慮したものでなければなりません。勝者、敗者を決める支配、排除の論理であってはならないのです。 明治大学は、大学という知的活動の最前線に立つ社会的基礎施設として、この多様性という点で著しく秀でた大学であり、まさしく、この点においてこそ膨大な潜在力を秘めた大学としてあります。その潜在力を開花させるためには、多様性が大きく育まれる、より広い活動空間が欠かせません。明治大学が、「世界へ!」を宣言したということは、自らの能力をより豊かに開花させるためのフィールドを求めてのことであることは、言うまでもありません。言い換えれば、明治大学のこの意志、行動は、人類、人間社会のサステナビリティを保障する多様性の活かし方を追究する果敢な試みとして、新たな時代の世界基準形成への一助として、第一歩を踏み出したものと言ってよいのです。明治大学は、「前へ! 」の精神をもって、この勇気ある決断をしたのです。 グローバルな社会では、あらゆる意味で多様性が価値判断、評価の基本になっており、また、そこにこそ持続的な成長、発展への可能性が見出されるという展望が描かれています。そうした状況下での大学の評価とは、如何に多くの分野において、より高いレベルの研究・教育が行われているかが、問われ続けるということになります。学問の発展は、特定の分野だけの研鑽だけでは、直ぐに壁にぶつかってしまいます。諸分野のマトリックス構造の中で相互に作用関係をもって、有機的な総合体系として展開しているところに一大特徴があります。大学は、こうした諸分野を人間社会における一つの統合空間、University としてあることを標榜し、サステナブルなより良い社会の実現を目指して探究を続ける社会的使命を負った存在としてあります。その故にこそ、「多様性」は、大学評価の最も重要なキーワードとしてあるのです。 明治大学は、わが国の大学界にあって、多様かつ有能な人材が集まることでよく知られた大学であり、正に、そうした意味からも、世界にそのフィールドを求めることは、極めて有意義かつ時宜を得たことなのです。この遥かに広い活動空間において発言、行動する大学として、明治大学は、新たな評価の機会を得ると共に、新時代の日本社会の進路を示すパイロットとしての役割を果たして行かなければなりません。創立以来の永きに渡って明治大学が培ってきた様々な能力は、潜在エネルギーとして正に醸成されつつあり、新たな評価の場を求めて飛躍する機会が待ち望まれていたのです。 三度、志願者日本一になったということは、新たな世紀の担い手となる若い世代の人々の心の中で、「世界へ!」を宣言した明治大学の決意が、明るい未来を展望させるものとして映り始めているからに違いありません。創立130周年を記念して、「世界へ!」を宣言したということは、かくも重く、意義あるものとして、明治大学は、大きな責務を負っていると言わなければなりません。そして、明治大学が、その責務を達成し得る能力と潜在力を十二分に有している大学であることは、疑う余地がありません。前へ! もう一歩前へ! そして、更にもう一歩前へ! 明治大学は、果敢に前進して行かなければなりません。
平成24年(2012年)4月15日(日)
明治大学生田ゼミナールOB・OG会 生 田 保 夫 |