21世紀、「明治大学の世紀」の開幕にあたって
21世紀、「明治大学の世紀」。この世紀こそはまさしく、「近代日本の幕開けとなった明治という時代に逸早く、自主、独立、自治の人権思想を標榜して立った明治大学の建学の精神が大きく開花する世紀」であります。それはまた、この地球というかけがえのない稀有の大地に生を受け、その一角に二本の足で立った人類の歴史が培ってきた文明、文化、英知がグローバルな空間に花開く世紀でもあります。この歴史的同期性にこそはまさしく、明治大学の担うべき21世紀の役割が強く示唆されているのであります。 「自主、独立、自治」とは、人々がそれぞれに自らの能力と責任において、可能性への権利と役割に目覚め、それが社会全体の発展にシンクロナイズして、開かれた未来が大きく展望されることを期待した規範であります。それは自由の精神と共に強い自己制御の自覚なしには認知されない厳しい姿勢を表したものでもあります。ここに改めて、明治大学の建学の精神とは、歴史に裏打ちされた人類共通の規範であることが強く認識されるのであります。そして、そこには、一つの明白な道筋が予見されています。この地球上に住まう総ての人々が、参加し、発言し、行動し、その能力を生かす権利と自由が認められ、人類の持続的発展に寄与する役割を担って、ともにその成果を享受、共有することが出来る社会を実現すること、これであります。そうした社会の実現には、幾つかの難しい条件が充たされていなければなりません。それは高度に発達した科学・技術文明の存在、多様な文化の共存、悠久の歴史に裏打ちされた人類の英知、そして更に、それらが優れて有機的に自然の営みに融合し組織化されていかなければなりません。これらの条件が充たされようとする時代、それがいま到来しようとしているということ、21世紀とは正にそうした世紀であります。 明治大学は今年120周年を迎えました。人の年齢に例えれば、第二の還暦を迎えたということになります。そして、いま、新たな世紀に入り、第三還暦期が始まりました。日本は明治という時代に、それまでの二百数十年間続いた鎖国の扉を開き、近代史の舞台に踊り出て参りました。その時の姿は山村から大都会に出てきた青年の戸惑いに似て、西欧社会の発展を眼のあたりにし、その間隙の大きさに驚くと共に、敢然、渦中に飛び込むの勢いをもって、西欧近代主義の成果、手法の導入に明け暮れする日々を過ごすことになったのであります。明治大学はその最中、明治13年の年の瀬も押し迫る12月8日、三人の学者有志が東京府庁に学校新設申請のために訪れた時に始まります。そして、翌、1881年1月17日を創立記念日として今日に至っていることは周知のとおりであります。その志は時代の号に等しく、「聖人南面而聴天下嚮明而治」(易経)に由来する世を明るく治める聖人の心を標榜して、まさしく明治大学の校名に冠せられています。人権思想と聖人の心、それは人と自然の調和を求めることにも通じ、その真理を深く学び洞察し、明るく豊かな人間社会の形成を目指して努める有為な人材、そうした人々を育成するキャンパスこそが、明治大学であります。 この世紀、21世紀が大きく人類史上に画期をなす世紀になることは、ほぼ間違いがありません。さまざまな歴史、文化を持ちながらも、「自主、独立、自治」の人権思想に育まれて 自由と民主主義は社会体制共通の普遍的テーゼとして定着し、人々があらゆる機会に参与する可能性が認められる社会の実現が展望される世紀であります。加えて、科学・技術の著しい発達を通じ、地球資源はむろんのこと、地球外資源をも取り込んで、人・物・情報の移動が常にグローバルな結びつきを持ちながら、私達の生活環境を大きく変えていく時代でもあります。それは人類をして地球人を意識させる歴史的時代の到来を意味しています。 これまで人類は、この大地の上でその能力を如何に自由に発揮できるかということを最大の関心事としてきました。豊かで自由に生きることの出来る社会の実現を目指して、さまざまな分野で自由のフロンティア開拓に勤しむ歴史を重ねてきたのであります。そこでは常に、人類は人間として自らの生命と生存を主幹に置き、主体的にかつ利己的に自然と対置してきました。恵みの源であることを理解しつつも、一方では脅威の存在として自然を、人間の意志の領域に再植させることに狂奔してきたのであります。しかしながら、いま改めて人間は人類というこの地球に住まう生命の一つとして、他のさまざまな生命とそれを育む資源・環境に思いを致さなければならない状況になってまいりました。「地球人を意識する」とは、まさしくそのことに他なりません。多様な生命の存在の中に、人類生存の安全装置がひそかに有機的に仕組まれているということに気付き始めたのであります。21世紀の選択は、科学・技術の発達と英知をもってその仕組みを解き明かしつつ、人類の生存と持続的な発展が展望し得るものでなければなりません。それはただに限られた人々の能力に委ねられ得るといったものではありません。それぞれの地域に、異なる生活、多様な文化を育んできた人類の歴史に鑑みて、限りなく多くの人々の経験と参加を必要とする人類共通の課題として存在しているということであります。それは豊かで広やかな心に実る優れた洞察力による他はなく、幅広い層の人々が誠実、真摯に学び、努力して、はじめて達成される時間のかかる難しい課題であります。そのためには、膨大な知識、情報、そしてさまざまな人々が学び、研究に勤しむ機会を与えられる場がなければなりません。 2001年(平成13年)12月8日(土)
明治大学商学部交通論生田ゼミナール・生田 保夫 |