人類史上、空前の発展紀、
                 21世紀と明治大学


  21世紀が人類史上、空前の発展紀になるということは、これまでも度々指摘して来たところです。それは、資源利用における科学・技術の応用が社会現象化し、長期にわたる産業革命がグローバルに展開する時代を迎えたことに因ります。

 重要なことは、18世紀後半の産業革命発祥以来、2世紀半にわたる歴史は、地域・国家間の激しい競争、離合集散の歴史であり、それが大きく人間社会の広域化を促して、今日見る、グローバル社会を大きく展望させる時代を迎えることとなりました。その基軸が、科学・技術を梃子として展開する産業革命を通じ、資源利用における相対的限界を克服して、持続的発展の方途を探るべく行動するダイナミズムにあることは、言うまでもありません。

 このダイナミズムは、地球という惑星を通じて利用できる諸資源を人間社会適合的に改変する作業過程と、資源の組み換えを包括的に可能にするための移動能力の向上、この二側面における劇的な変化に大きく依拠しています。価値観の多様化と人口の急増によって幾何級数的に増大する人間の欲求は、空間的拡大の中にその実現可能性を求めるという志向性をもって、グローバル化を希求する方向へと主導されて来ました。そして、それを現実社会の中で具現化していくためには、資源移動の自由を可及的に高めていくための交通システムの飛躍的発達が求められます。「資源の人間社会適合的改変」の作業過程とは、まさしく、この交通システムによって形成される一連の交通過程の上に成り立っているという事実を想起しなければなりません。その意味で産業革命の主幹は、交通システムの能力向上にあり、それに依って先行・主導されているということになります。

 交通学は、移動を通じて改変される資源を交通対象とし、それを移動させる手段を交通システムとして、人間社会に投入される全ての資源は、この二つに分岐して展開し価値実現を図っているという関係を捉え、論理構築を行っています。そして、資源の価値とは位置によって規定されており、位置の変化こそが価値変化の本質であることを明らかにしています。言い換えれば、資源の人間社会適合的改変とは、個別主体個々の価値基準に基づく対象資源の位置変換に他ならないということ、このことにあります。まさしく、価値実現の能力が交通システムの能力と、その利用手法にあるという事実を明らかにしているのです。

 人間社会の発展が、価値観の多様化と交通システムの飛躍的な発達に依拠した資源利用の持続的な拡大という形で現象化し、そのことがグローバル化へと大きく躍動する時代へと突き進めて来ました。21世紀に入って十数余年、世界は国・地域それぞれの主張が錯綜して、かえって前世紀の時代よりも複雑化しているかに見えます。しかし、それは、グローバルに展開する新たな時代への地ならしと言ってよく、前世紀遺制の相克、葛藤がもたらす生理現象に他なりません。

 人類がこれまで経験したことのない社会現象として、それまでに各国・地域において形成され定着してきた種々の制度・慣習・文化等に根ざした社会関係の中に、相異なる要素が入って来ることを余儀なくさせ、それが、国家・地域間に騒擾をもたらしているのです。グローバル社会という新たな社会関係に、各国・地域が有機的に融合していくためには、ある程度の時間的経過を必要としているということになります。そうした過渡期を経て、グローバルな地域間分業に基づく資源利用を基盤とした社会関係の中に、人間社会の新たなサステナビリティの在り方を見出して行こうとしているのが、現在の動きなのです。

 重要なことは、グローバル社会とは、一律の規範のもとに形成されるような硬直的な社会関係ではないということです。日常生活が時間と場所の2因子に規定されているという事実がある以上、空間的差異は絶対的条件として回避することは出来ません。それ故にこそ、資源利用における評価の流動性が現実的意味を持ち、移動の自由こそが、資源評価の持続的発展を具現化させて行くことになるのです。そうした関係の中で、地域性の持つ限界を止揚・克服して、空前の発展紀をもたらそうとする人間社会のダイナミズムが,いま正に躍動し始めようとしているのです。

 明治大学、百数十年の歴史は、社会の中軸、中核を担う存在として、日本社会の動きに連動して試行錯誤の路程を歩むという歳月でした。その故にこそ、皮相な表見的行動に惑わされることなく、連綿と続く時代の流れの中にサステナビリティの輪を拡げていく誠実・勤勉な努力を基調とした、多くの多様・多彩な人材を世に輩出し得てきたのです。それは、正にグローバル社会の在り方にフィトした好個の態様と言っても過言ではありません。

 この世紀が、人類史上、空前の発展紀になるということは、明治大学が培ってきた様々な在り方がグローバル社会の中で、主導的な役割を果たす地位にあるということを強く示唆しているのです。折しも創立百三十周年を記念して「世界の明治大学」を宣言したことは、正に、そのことを強く意識した行動と言って差し支えありません。

 高度情報化社会という今日的状況下、それは、大学という組織機構の中で最も先進的、効果的に作動し、人間社会のサステナビリティの方向性を大きく主導して発展させる能力と可能性を持つ、他に類を見ない存在としてあることを理解しておく必要があります。大学という存在は、高度にして幅広い研究・教育を行うことを使命とする人間社会が創り出した稀有の社会的組織機構として、改めてその重要性を高く評価、認識しておく必要があるのです。

 そして、それがグローバル社会を大きく強力に牽引する役割を果たすためには、「多様性」を保障する膨大な情報と人材に裏打ちされた社会関係が、醸成されていかなければなりません。しかも、その関係は特定の利害・価値基準に偏ることなく、あらゆる可能性を人間社会のサステナビリティ形成に有機化させていかなければならないのです。そのためには、そこに参加する全ての人材、資源の特性・諸元が可及的に情報・客観化され,グローバル社会の中に如何に適切な形で位置づけられ、役割評価され得るかを明らかにするようなシステ無体系の構築が求められているのです。

 ここにおいて、グローバル社会への誘引が、人間社会の欲求増大に主導されて拡大する資源利用における空間的広がりを動機として進行して来たという歴史は、新たな発展段階の過程に入ろうとしているのです。それは、まさしく高度情報化社会という時代様相の中で導き出されて来た進化の姿に他なりません。言い換えれば、人間社会の持続的発展をグローバル化の中に求めるとすれば、そこに参与するあらゆる人・物・情報が有効・効果的に活用されるための前提条件として、人間社会的評価を基礎にした情報再編成によるヴァーチャルリアリティ化の作業過程が不可欠だということになるのです。今世紀に入って急速に一般化して来たビッグデータへの関心は、正に、そうした動きへの胎動に他なりません。

 重要なことは、このビッグデータは、それ自体自己増殖する有機体としての特性を有しているということです。それは、人間個々人の情報処理能力を遥かに超えた領域に広がる情報空間の中で、幾何級数的に増大して行きます。それを人間社会に効果的に生かす有機的なシステムの構築が不可欠の課題になり、新たな知的システム、就中、人工知能の開発を最先端とする新たな産業革命の到来を期待しなければならなくなりました。言い換えれば、21世紀が人類史上、空前の発展紀になるということは、そうした条件が着実に進行する時代を迎えているということ、そのことを意味しているのです。

 社会的には、第四次産業革命の時代の始まりとして認知されつつある今日の様相は、前世紀遺制の相克・葛藤を生理しながら、新たな時代への準備を着実に用意し始めていると言って間違いありません。この時代を通じて、人間社会は、情報処理能力において人間を遥かに超える手段を得て、より精度の高い情報解析の上に情報選択を行い、様々な課題解決へのよりレベルの高い処方箋を得ながら、新たな社会関係を構築して行くことになります。こうした新たな知的システムが地球資源の利用に融合されて、より有効、効果的な人間社会適合的な資源利用の未来展望を描くことにより、人間社会は、人類史上、空前の発展紀に遭遇して行くことになるのです。

 そして、改めて、グローバル社会において望まれる大学の姿とは、高度な多様性を中軸にした多様な人材を輩出する使命を果たし得るかにあります。そのことこそが、明治大学が、世界に冠たる大学に成り得る可能性を強く示唆していると言えましょう。
 幸運の世紀、21世紀は、皆さんの足元で着実に進みつつあります。
                                    
                                2017年(平成29年)12月2日(土)
                                明治大学生田ゼミナールOB・OG会 生 田 保 夫

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