明治大学 2011年の春、再び志願者日本一
そして、巨大地震
2011年の春、明治大学は、志願者数113,905名と、昨年に続き日本一の栄誉に輝きました。二位との差252名は、昨年の差185名より少し大きくなりましたが、依然として僅差であることには変わりありませんでした。しかし、明治大学にとって重要なことは、その差以上の意味を持つものになりつつあるということです。事前の人気アンケートでの一位という評価が、実際の場でも、はっきりした形で現われるようになってきたこと、そして、少々、偶然めいた印象のあった昨年とは違い、より信頼度の高い順位としての一位として、強く印象を与えるものになったということです。それは、明治大学が21世紀型大学としての姿を整え始めたこと、新しい世紀に人生の大半を送る人々に、門を叩いてみようという気を起こさせる大学になりつつあるということ、そして何よりも、これからの大学は、こう在らねばならないという明治大学の意志が、未来に向かって大きく飛躍しようとする多くの受験生の心を捉え始めたこと、このことにあります。 明治大学は、前世紀までに見られた偏狭な、いわゆるエリート養成型の大学を目指そうとしているのではありません。多様な人々、文化がグローバルに交流する時代にあって、豊かな知識・情報に支えられた知的素養が不可欠になってきており、今や、大学は、多くの人々が学ばなければならない社会的基礎施設として、位置付けられるようになって来ているのです。更に、その役割をダイナミックに支える広範かつ高度な研究能力の向上を通じて、社会全体の知的レベルを高め続けること、このことが無ければ、人間社会の持続的発展は期待し得ません。研究活動は、その最前線、知的活動のフロンティアにあります。特定の思想、利害に囚われず不偏不党、広範な領域に渡って、高度かつ息の長い研究活動が幅広く行える場は、大学を措いて他にはありません。明治大学は、いま正に、この最前線に躍り出ようとしています。 この春、東日本一帯が巨大地震に襲われました。その被害は未曽有のものであり、日本全体が一丸となって取り組まなければならない、想像を遥かに超える災害となりました。改めて人智を超えた自然の猛威を知らされた思いです。 巨大地震。明治大学発展の歴史は、この巨大地震の発生とどこかで結び付いているように感じられる歴史です。関東大震災(1923年9月1日)、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)、そして、2011年3月11日の東日本大震災。 明治大学は、関東大震災によって壊滅状態の被害に見舞われました。当時の新聞には、再起は極めて困難と報じられていました。しかし、「明治は一つ」、一丸となってあの記念館の建設と共に、明治大学は、飛躍への第一歩を踏み出しました。 阪神・淡路大震災。その日は、奇しくも明治大学創立の記念日に当たっていました。この激震は、もう一歩前に踏み出すことを迷っていた明治大学に大きく啓示を与えるものとなりました。これまで数々の苦難を乗り越えて、明治大学の発展を支えてきた記念館は、そこかしこに疲労のいたみを隠しきれなくなっていました。巷間に噂される直下型大地震の襲来、関西地域より遥かに危険が強く指摘されてきた巨大地震の恐怖。記念日、1月17日との符合は、明治大学の関係者に鮮烈な驚きを与え、新たな記念館の建設計画実施へと踏み出す契機となったのです。1998年、先の記念館の竣工から70年が経った丁度その年、不死鳥、フェニックスを模したリバティタワーがその威容を現わしました。駿河台の台地に聳え建つその姿は、見る者をして驚嘆せしめたばかりではなく、誰の心にも、明治大学の新たな時代の到来を予感させるものとなりました。 そして、21世紀の幕が切って落とされました。21世紀の幕開けを象徴する記念館の出現は、明治大学の活性化に火をつけることになりました。前世紀の古い衣を脱ぎ捨てて、新しい時代に合った服装を整え始めたのです。この十年の明治大学の変化は、目を見張るものがあります。ただ、それは、前の世紀、阪神・淡路大震災までの二十余年の冬眠の間にやり残してきた、数々の遅れを取り戻すための作業に他なりませんでした。が、この激変は、周囲はむろんのこと、明治大学関係者自身にも、改めて明治大学の底力の強さを知る機会となりました。そして、「さらに、もう一歩前へ!」、明治大学が世界に向かって大きく羽ばたく決意を鮮明にし、その第一歩を踏み出す記念すべき創立130周年のこの年、突如としてM9の巨大地震が東日本を襲ったのです。 もはや、疑う余地はありません。明治大学は、この事実を真摯に受け止めなければなりません。地球物理学的な脈動、日本列島をダイナミックに揺り動かす地殻変動、巨大地震の発生は、日本の変革期の歴史に大きく影響を与えて参りました。明治大学が、大地震の発生にシンクロナイズして歴史を刻んできたというこの驚くべき事実、そして再び、その時の今、明治大学は、世界の明治大学になるべく前進を始めたのです。 21世紀の始まりは、まさしく明治大学の第3還暦期の始まりでもありました。それから十年、明治大学は、「21世紀は、明治大学の世紀」を実現すべく準備を重ねて参りました。そして、今年、2011年、その第一歩を踏み出したのです。「前へ! 」、明治大学にとって他の選択はありません。「世界に冠たる大学」、それは人類の未来に大きく希望を与えることの出来る大学、明治大学が目指すべき大学の姿は、正に、そこにあります。そして、市民社会における大学は、意志と能力のある、あらゆる人々が参加できる「開かれた大学」でなければなりません。明治大学は、その道を歩き始めています。そこに学び、研究に携わる人々は、白いカンバスに紫紺の絵筆をもって未来の夢を大きく描き上げるのです。 平成23年(2011年)5月31日(火) 明治大学生田ゼミナールOB・OG会 生 田 保 夫 |