私は、二つの大学に、入りました。
―気象大学校・明治大学―

 高校を卒業した時点で、まず、入った大学は、気象大学校という大学でした。そして、その一年後、満を持して明治大学の門をくぐりました。

 気象大学校。それは、気象庁の実務に携わる中堅幹部を養成する大学です。わが国で最も小さい高等教育機関として、現在も引き続き存在しています。気象業務は、社会における諸活動を行う上で最も重要な基礎的業務として、その役割は、決して小さいものではありません。その教育機関として、毎年入学する学生の数は十数名程度、合格率は数十倍から百倍近くという極めて狭き門の大学です。知る人ぞ知るという特異な高等教育機関として存在しています。「校」の文字が末尾に付く機関ですから、文部科学省の所管下にある教育機関ではありません。私が入学した当時は、運輸省の、そして、今は国土交通省の管轄下にあります。

 私が入校した時の人数は16名でした。前年は、わずか数名でしかありませんでしたから、いかに小規模な大学であるかが解ると思います。全寮制で主食の米を除いては、全て給付されるという厚遇でした。国家公務員初級職として、学生であると共に、公務員としての職員の位置付にあるというわけです。いづれにしても、気象大学校に入学出来たということは、その時点で国家公務員としての地位が与えられているという極めて優遇された存在としてありました。卒業後は、無条件で気象庁職員として職に就くことが出来るわけです。気象庁に職を得ようとする限り、これほど優遇されたコースは他にありません。当然のことながら、そこを中途退学するという学生は、殆どおりません。ですから、私が中退するという意思を示したとき、指導教授からは無論のこと、同級生,その他色々な方々から、思い留まるように説得されました。家族には、相談しませんでした。相談すれば、一番強く反対されたことだろうと思います。それにも関わらず、私は、何の躊躇することもなく退学しました。私にとって、これは、新たな人生への第一歩、船出に他ならなかったのです。

 気象大学校を中退して、私が入った二つ目の大學が明治大学でした。商学部産業経営学科です。小学校の頃から親しんできた理系の分野からは、まったく逆の分野でした。しかも、気象大学校が、嫌だから中途退学したというのではありませんでした。ずっと、理系で来た私にとっては、最も順当な流れだったのです。好き嫌いという点からすれば、商学部というのは、最も苦手な分野でした。加えて、それまで私立大学に入るなどということは、考えたこともなかったのです。その頃の、私が高校まで学んでいた地域では、国公立コースが最も標準的な評価コースでした。気象大学校に入ったとき、関東圏での私学に対する評価の高さに、意外な気がしたのを覚えています。商学部を選んだのは、高校の時の数学の先生が、授業中、「私学に行くなら、その大学で一番評価の高い学部を選ぶべきだ」と言っていたのを思い出したからです。産業経営学科を選んだのは、その学科の入学試験が、気象大学校の後期の試験が全て終わった時に当たっていたからです。合格した時の気持ちは、気象大学校に合格した時よりも嬉しかったように覚えています。ただ、今までは、まったく出す必要がなかった入学金や授業料を納めなければならないという洗礼をうけました。明治大学にそれらを納めて気象大学校の寮に戻るときの気持ちは、妙に明るいものがありました。

 明治大学に入学して二、三か月が経った頃、次第にはっきりしてきたことは、私立・文系の大學というところが、著しく自由であること、その反動ともいうべく、気象大学校のようにしっかりと組織だってカリキュラムが組まれることによって、将来にどのように意味を成す科目かということがかなりはっきりしているのとは異なり、何やら不安にさせられるものがありました。分野が違うと、こうまで理解の幅が違うのかと、かなり戸惑いました。試練ですね。そうした不安の中で一つの光明を得ました。気象大学校の学生数は、全部で30名に満たない程の人数でした。一方、明治大学は、3万人余の巨大さです。まことに多士済々、専攻ごとの違い、千名を超えるクラスの授業、等々、驚かされることばかりでした。しかし、この人の多さは、別のプラス面もありました。その意義は、課外活動、クラブ活動において、大きく寄与していたことです。私も、そのことに強く触れることになりました。数か月が経ったころ、大変しっかりした先輩・上級生の方々に依って運営されているクラブがあることを知りました。私は、そのクラブに入りました。想像以上に立派な方々でした。明治大学に入って初めて気持が高揚したのを覚えています。どうやら、そこから本物の学生生活が始まったように思います。からだ全体に、充実感がみなぎって来たように感じました。そして、その後、明治大学において、長く続く、勉学、研究の生活が始まりました。私の人生が、大きく変わって行くことになります。

2025年(令和7年)12月6日(土)
 明治大学生田ゼミナールOB・OG会 生 田 保 夫

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