ここでは、学生のみなさんの関心も高い「留学」について、私の体験談を「インフォーマルに」お話したいと思います。
WEB上で長い文を読むのは大変なので、読みやすい様にテーマごとに適当に短く切ってお話します。
<きっかけ>
私が大学院留学を真剣に考え出したのは、大学在学中の、確か三年生になったばかりのころだったと思います。僕の恩師が、カリフォルニア大学バークレイ校という、全米のTOPスクールの大学院の出身だったので、その先生に憧れて、アメリカ留学を決心しました。当時、アメリカに大学院留学する人は、日本の大学院に通っている人か、出た人が普通でしたので、私のように、日本の大学を卒業後、直接向こうの大学院に行くのは無謀だと思われていましたし、やはり私も日本の大学院にとりあえず進学すべきだというアドバイスを受けました。しかし、(経済的な理由もありましたが)負けん気の強い私は、「意地でも直接行ってやる!」と思い、勉強を始めました。(三年の初めだったと思います。)
<勉強の内容、方法>
まずはとにかく、TOEFLとGRE(GREは、アメリカの大学院に入るためのセンター試験のようなもの。世の中、こんな難しいテストがあって良いのかというくらい難しい!!)のスコアを伸ばすことが必要だと思い、それらの勉強から始めました。それから実際に大学院の合格通知が来るまでの約二年弱の間は、本当に自分を誉めてあげたくなるくらい(笑)一生懸命勉強しました。とりあえず、当時市販されていたこれらのテスト用の問題集や参考書を、和書、洋書を問わず、手に入る限り全て買って、片っ端から終わらせました。また、会話力を少しでも伸ばそうと、友人に頼みこんで、東京の横田基地と言う米軍の基地に住んでいる外人さんのお宅へ(疎ましがられながら)しょっちゅう遊びに行ったり、塾で一緒に働いている英会話の外人の先生達と話したり、外人の知り合いがいる友達に、その人を紹介してもらったりとかして、積極的に会話をする機会を作って、スピーキングの練習をしました。相手がいない時は、独り言で延々と発話練習をしていました。(笑)
<TOEFL等の試験について>
TOEFLは、アメリカの大学院に行くには、通常、550〜600点前後の点数が必要だと言いますが、三年次の中頃からTOEFLを受験し始め、それから毎回受け、3年次の終わりにはとりあえず納得の行く点数が取れていたので、それ以降は恐怖のGREのための勉強(&卒論)に専念しました。しかし結局、GREの壁は厚く、最後まで満足の得られる結果が得られずじまいでした。まあ、しかしこれらの試験で、たとえ自分のスコアが希望する大学が要求する基準に達していない場合でも、(日本人はあきらめてしまいがちですが、)実際のところ、これらのテストはあくまでも目安なので、思いきって応募してみた方が良いと思います。
<合格〜出発まで>
4年次の正月、努力の甲斐あってか、何らかの手違いか、駄目もとで応募した大学院の一つ、シカゴ大学の大学院から合格通知が届きました。それからしばらくはもう、ご想像の通り、勉強なんて全くと言いくらいしませんでした。(笑)(しかし後に、この時に専門に関する勉強をもっとやっておけばよかったということを後悔する日が来ることになるのですが。)そして、バイトに明け暮れ、多少のお金を貯めて、遊びにも飽きた夏の終り頃にシカゴに旅立ちました。
<到着〜授業開始まで>
アメリカに来て、最初にビックリしたのは、アメリカ人達が喋るスピードの速いこと、速いこと。日本にいる外国人達が、どれだけ私達に気を使ってゆっくり話してくれているかがわかりました。(私が自分の学生には、できるだけ手加減無しの生の英語の教材を聞かせて練習させようと決心したのはこの時です!)到着した時から授業が始まるまで、約一ヶ月あったので、この間に寮の自分の部屋を自分の住みやすい環境にするための買い物や、観光、友達作りに励みました。
<授業開始!>
そしていよいよ学期が始まりました。日本から来た同級生は、私より年が上の人ばかりだし、もう学力も、英語力も、専門に関する知識も差は歴然。合格後から留学前の数ヶ月間、遊んで過ごしたことを本当に後悔しました。授業もリアルタイムではよく理解できなかったので、テープレコーダー持参で参加し、授業後に聞いて、まるまる復習していました。(しかしそれでもわからなかったけれど。(笑))授業での指示とかもよく理解できていなかったため、課題を指示通りにできないこともしばしば。本当にこれでやっていけるのだろうかと不安になりました。幸い、中盤以降は、寮の友人達の助けもあり、何とかついていけるようになりました。
<最初の学期終了、そして二学期目>
そんなこんなで、最初の学期は、全く右も左も分からないうちに終わってしまいました。そして冬休みが開け、私は生まれ変わりました。なんとなく勉強のコツが分かったのもあり、他の同級生達と対等に渡り合える(と自分的には思える)ようになり、大分、先に希望が見えてきました。しかし、無謀だったのは、こんな状態でありながらも、早くコースワークを終わらせるため、通常の人より一科目、または二科目多く履修していたことです。結局、これが自分の首をしめることになり、毎日宿題と予習に追われ、2−3時間しか寝られない生活に入ります。
<恐怖の博士課程適性試験>
まあ、そんなこんなで無事に二学期目も終わり、春学期になり、恐怖の適性試験(qualifying
exam)を受けることになります。これは、博士課程に残るためのサバイバル・ゲーム的な試験であり、これでコア6科目中4科目において、HIGH
PASS(PASS の上。90点以上でこれになる)を取らないと、修士号をおみやげに、学校を追い出されてしまうという苛酷なテストです。結局、このテストの後、同級生の半分が消えてしまいました。
<二年目以降>
実は、私は当初の予定では一年で修士を取って帰ろうと思っていた(笑い話ですが、自分では修士課程に入ったつもりが、入ってからここには博士課程しかないと聞かされたのです)のですが、運良く学校から博士課程での勉強を続けるための奨学金がもらえることになったので、残ることにしました。二年目以降は勉強が楽しかったです。もう基礎科目が終わったので、自分の専門だけ勉強していればよかったわけですから。二年目も通常より一、二科目ずつ多くとり続けました。シカゴ大は、博士号取得のための条件がとても厳しく、必要科目数も27科目と、とても多いため、何とか早く終わらせようと、多めにとり続け、本来ならまるまる3年かかるところを、強引に二年で終わらせました。その努力も空しく、私が単位をすべて取り終わった次の学期にカリキュラム改正。半分以下の12単位で良いということになりました。在学中の学生には、新、旧、どちらのカリキュラムを選んでもいいということになりました。つまり、私の苦労は水の泡。そこで先生に抗議に行ったところ、先生は一言。「Good
for you. Because you learned a lot.」 確かにそうだけど......(T.T)
<3つもある外国語の必修>
シカゴ大の言語学科は、英語以外の二つの言語を選び、学内共通試験(専門書等から抜き出してきたパラグラフを二時間で英訳するテスト。)でHigh
Passをとることと、ヨーロッパ言語以外の言語一つを一年間履修することが、学位取得のため条件となっていました。私は、一年目の夏休みにフランス語を、二年目の夏休みにドイツ語を集中講義で学び、何とかテストに受かることができました。これらの言語を英訳するのは、日本語にするよりもずっと楽に感じました。(それは恐らく、これらの言語がお互いに近い構造をしているからでしょうね。)そして、ヨーロッパ言語以外の言語は、日本語をカウントしてもらい、免除してもらうことも可能だったのですが、あえてアメリカン・インディアンの言語を選択し、一年間学びました。
<恐怖のMajor Exam & Minor Exam>
コースワークが終わると、今度はまたまたとんでもなく大変な試験が待ちうけています。Major
Exam と Minor Exam と呼ばれるものです。前者は、自分の専門とする分野全体に関する問題で、指導教授と相談しながら自分で読む本や論文を決め、リーディング・リストを作ります。通常、70から100前後の文献をリストに載せ、それを全部読破し、理解した時点で先生(二人)に問題を作ってもらい、解答します。何しろ読む量が膨大なので、通常、これの準備に半年から数年かけます。テストの受け方には三種類あり、口頭、教室での試験、そして自宅に持ち帰ってやる試験があります。どれも一長一短なのですが、外国人留学生は通常、三番目の持ちかえり式の試験を選択します。これが、恐ろしく大変な試験で、提出まで72時間(3日)もらえるのですが、その間は本当にちゃんと寝ることなどできませんでした。僕の場合、論述式の問題(「〜に関する現象に関し、いくつかの学説を検討し、それぞれを批判せよ」と言う感じの問題)が三問でましたが、解答は、シングル・スペースで50枚を超えました。(これは平均的な数字らしいです!!)試験が終わった後は、当然、抜け殻のようになっていました。これは、私は三年目の終わりに受けました。Minor
Examはこれより、さらに専門分野を絞ったもので、これが直接博士論文の研究の基にする人もいます。しかし、こっちの方は少し楽で、リーディング・リストは大体、30から50程度の文献で作ります。テストはやはり三問で、。文献は少ないものの、今度はかなり突っ込んだところまで聞いてくるので、やはり解答はMajor
Examと同じくらいになってしまいます。私は、これは四年目の春に受けました。まあ、とにかくこのような人格を無視した試験ですから、当然受けるのが怖くてずっと受けない人、試験途中でノイローゼになってしまう人がごろごろ出てきます。そして、学校を去って行きます。ここでも苛酷なサバイバル・ゲームがあるわけです。
<博士論文のプロポーザル>
これらのことを終えると、博士論文を書き始めることが許可されます。そして、ある程度やることが固まったら、プロポーザル(論文の計画の内容を教授達の前で発表し、審査してもらう)ということをやります。これに合格すると、博士候補生(Ph.D.
candidate)と名乗ることができるようになります。
<Defence (口頭試問)>
そして、論文を書き上げると、最後にDefenceと呼ばれる、口頭試問があります。ここで、教授達が再び内容を審査し、合格を出してくれれば、めでたく博士号が授与されるわけです。このように、シカゴ大学では、博士号取得までには長く、辛い道のりが待っているために、ほとんどの人が途中で脱落し、毎年僅か数名のみしか卒業できない現状になってしまうわけです。しかし、上でも述べましたが、最近では、この伝統も崩れ始め、カリキュラム改革により、学位取得に必要な事項が減ってきているということですので、これから行かれるみなさんは、多少は余計な苦労をせずに学位が取れるでしょう。チャンスです!みなさん、頑張って留学して学位を取って来ましょうね!