And All That Jazz

ここでは、私の留学体験談や、専門分野の簡単な紹介、 その他何となく思いついたことなどを書いております。 暇なときにお読みください.

言語科学と法、及び法言語学について

「法言語学(言語[科学]と法)とは」

(走り書きバージョン:コメント大歓迎!)

 言語学はことばの使い方に精通することを目的とした学問ではない。人間がことばを介して行う認知のメカニズムをモデル化を通じて接近を試みる学問である。認知という働きは有機体である脳の中で起こっている現象、すなわち、生物の一部で起こる生体現象であり、さらにつきつめれば、脳内現象は、つまるところ、文理解に際して脳内で起こる化学反応の結果、また脳科学の別の立場から言えば、脳内での伝達物質の相互作用により電気信号が流れるか 流れないかということであるから、脳内現象としての言語現象は、化学現象・物理現象のライン上にあると言える。 しかし、この脳内現象である認知機構そのものは直接 実験・観察することも、記述することもできない。したがって、観察可能な言語現象を観察、実験の対象とし、記述の手段として数学的記号体系や日常言語を用いた述べられた 規則を用いて、言語を介した認知のメカニズムをモデル化する。この方法はちょうど ほとんどの自然現象を扱う自然科学が数学的記号体系を用いて、モデル化という 方法を通して現象への接近を試みるのと完全に平行する。言語科学における、言語現象を 介した認知のメカニズムを表す最も端的な手段としての規則・モデルが、よりズサンな定義で 一般的に文法(規則)と呼ばれてきたが、一般に学校で教えられている「文法」とはまったく 別物であるということは明白であろう。言語(科)学は、自然言語を観察対象として認知機構の 解明を行う自然科学なのである。まずは、このことを認識しておいていただきたい。
 しかしながら、言語学がこのような認知科学、ひいては自然科学に発展したのは、 20世紀中盤以降の目覚しい言語理論の発達に伴ってである。それ以前の旧来の 言語学は素朴に言語そのものを研究対象としてきたが、そのような研究方法も法との 関連を扱ってきた。元々、「法も言語も人間特有のものであり、社会を構成していくために 必要な規則に司られたシンボルの体系である」(Levi 1986)という捉え方をするならば、 言語学と法という、一見、無関係な分野を股に架ける研究分野が成り立つのもそれほど 不思議ではなかろう。また、法を言語という観点から捉える試み自体は、「法と言語」と 呼ばれる法哲学の一分野としてすでに確立しており、主に哲学的なアプローチから研究が なされてきた。日本ではおそらくこちらのアプローチの方が、法学関係者には知られて いるであろう。このアプローチは、ヴィトゲンシュタインやオースティン等の日常言語哲学に 端を発するもので、法廷弁論や判決における法の言葉の働き、すなわち実際の言語使用に 関心を向ける(田中 1993)。これらのような視点から分析を行うのが、もっとも伝統的な 「言語と法」の研究でもあった。
 しかし、20世紀最後の四半世紀は、言語学の分析手法を法システム・法運用の分析・ 理解のための手段として用いるいうよりも、法実務の中でどう応用していくかということに 関心が向けられるようになってきた。「法言語学(forensic linguistics)」の誕生である。
法の世界、特に『裁判』という特殊なコンテキストにおいては、ことばの使用の結果が人の生活、 人生に変化をもたらしたり、時として生死をも決定する要因になってしまう場合さえあるために なおさら重要である。(Levi 1993)ことばは、我々の社会生活において、その存在、使用が あまりにもあたりまえであるがために、ついその本質の追求を怠ってしまったり、自己の知識で 十分に分析・理解し得るものであるという錯覚に陥ってしまう。しかし、私たちは意外に自分の 使っていることばのことを知らない。確かに日常使用する言葉であれば、意味は辞書を見れば わかるのだから、わざわざ言語学者や最新の分析理論に頼ることはないと考えるかもしれない。
実際、多くの裁判において語の定義が争点となった際、言語学者の代わりに辞書が活躍してきた。
しかし、辞書に記載されているのは、単に語の「規範的な意味」であり、コンテクスト内の実際の 言語使用、すなわち記述的な生きたことばの姿が説明されているわけではないし、経験的な 調査に基づいているわけでもない。(Levi interviewed and quoted in Samborn 1996)  言語学の分析は一般によく知られている声紋分析や筆跡鑑定による人物特定に 留まらず、ことばに基づく証拠の分析、証言の信憑性の実験、事実認定者による判断の 信頼性の実験、プロファイリングなどの様々な分野で応用されている。また、このような言語分析が 応用可能な法の分野は、文書の偽造、名誉毀損、脅迫、贈収賄、共同謀議、商標の類否、 商品の注意書き等、刑法から不法行為法や製造物責任法まで多岐に渡る。
 「法言語学」という分野は、日本では馴染みの薄い分野であるが、アメリカやイギリスにおいては、 2、30年ほど前より研究が始められ、近年になってその重要性が認識され、関連研究も隆盛を 見せている。また、様々な大学において学科、または科目として設置されるなど、社会科学の 一分野として次第に確立されつつある。しかし日本では、ごく一部の言語学者によって、 過去十数年の間に調査が始まったばかりの比較的新しい分野である。
教育機関においても、今のところ、ごく限られた大学においてのみしか、 言語分析に主眼をおいた「言語と法」の関係を扱う科目は設置されていないようである。
 法律家も言語学者もことばを扱うという意味では共通している。その意味では両者共に ことばの専門家である。両者の違いは、法律家はことばの「法律的観点からの解釈」の専門家であり、 言語学者はことばの「構造的解釈」、及び「実質的使用における意味の解釈」、すなわち ことばによる認知のメカニズムの専門家であるという点であろう。法律家といえども、 ことばの分析に関しては、学校教育における言語教育で身に付けた言語分析の知識、 能力を有するだけであり、一般常識人以上の能力は持ち合わせていない。ましてや、 ことばを介した認知のメカニズムを分析するための言語分析の手法などは学んでいない。
二十世紀後半、言語分析理論はチョムスキー理論の出現に伴い客観的経験科学として、 ひいては自然科学として飛躍的な発展・進歩を遂げたが、学校教育において教授される 言語分析法は、はるか昔に作り上げられた"記述的"なものをそのまま用いていて、 過去半世紀の成果を全く反映していない。しかし、残念ながらこの事実はあまり認識 されていないようである。
 法律家と言語学者の両者がお互いの専門知識を提供し合うことは、より正確な事実の把握、 真実の解明、そしてより的確・公正な法の解釈・運用に有益であることは言うまでもない。
科学としての言語学は、ことばを、音声、形態、構造、意味等の特性に関し、経験的手法を 用いて分析する術を有している。その客観性、論理性、説得力が評価されてきているからこそ、 米、イギリス、オーストラリアなどでは言語学者がことばに関する証拠の鑑定を行ったり、 専門家証人(expert witness)として出廷するケースが増えてきているのである。
では、なぜ言語学者が必要なのか。たとえば、商標の類否の判断を考えていただきたい。
ある商標名と別の商標名が似ているか否かは、あきらかにことばの認知にかかわる問題である。
ことばを母語として運用し、学校文法をよく知っていることと、ことばの認知のメカニズムを知ることは まったく別であり、前者を熟知しているからと言って、後者を知っているとは限らない。
だからこそ、後者の解明を専門としている言語学者の分析が有用、かつ必要となってくるのである。   法における言語科学の重要性は、海外での評価と同様、わが国においても今後ますます 高まっていくことが期待されるが、わが国では法廷での言語学分析の利用には多くの課題が 残されている。アメリカに比べ、証拠法による専門家証人、鑑定人の利用の基準が厳しくない 日本においては、制度上の問題よりも、言語学分析の認知度そのものの低さが問題であると 考えられる。したがって、言語学を専門とする者達が、まずは言語学分析の有用性を証明して いくのと同時に、その信頼性を高めるために、分析の客観性・科学性を証明し、検証可能性を 高めることによって、法律家達に、言語学分析が彼等の信頼に十分に値するものであるという ことをアピールしていくことが重要であろう。
*法言語学に興味を持った方、学内外を問わず、お気軽にメールをください。

参考文献:
(和書)
大津由紀夫 「言語の認知科学 ---スティーブン・ピンカーのエッセイに寄せて---」丸善販売書籍カタログ『現代言語学の最前線1999/2000年版』1999
黒田航 「認知形態論」吉村公宏編 『認知音韻・形態論』大修館書店2003. 第2章
郡司隆男 「言語科学の提唱」、松本裕治、今井邦彦、田窪行則、橋田浩一、郡司隆男『言語の科学入門』岩波書店2004. 第4章
小林道夫 『科学哲学』産業図書 1996
田中成明 (1993) 『現代論理法学入門』 京都 法律文化社
畠山雄二 『ことばを科学する。理論言語学の基礎講義』鳳書房 2003a.
畠山雄二 『情報科学のための自然言語学入門』丸善 2003b.
福井直樹 『自然科学としての言語学』大修館書店 2001.
村上陽一郎 『新しい科学論、「事実」は理論を倒せるか』講談社 1989.


(洋書)

Levi, Judith (1986) Applications of Linguistics to the Language of Legal Interactions. In The Real-World Linguist: Linguistic Applications in the 1980s, edited by Peter C. Bjarkman and Victor Raskin. Norwood, New Jersey: Ablex. pp. 230-265.

Levi, Judith (1993) Evaluating Jury Comprehension of Illinois Capital-Sentencing Instructions. American Speech 68.1, pp. 20-49

Samborn, Hope V. (1996) Looking for the Meaning of life? Call a Linguist. ABA JournalFebruary p 28.

法言語学を学びたいと考えている方へ

 実は、日本国内で法言語学を学べるところはほとんどありません。しかし、 だからと言って、あきらめることはありません。法言語学で大事なのは、 言語学の基礎知識、特に言語を分析する力をつけることです。
この分野の草分け的存在であるRoger Shuyなども同じことを言っています。 法言語学は、あくまでも、言語学の知見を法に関する言語現象の分析に応用することを 目的とするわけですから、言語学の知識、しかも、できれば特定の分野よりも、 言語学の諸分野を包括的に知っていることが重要かと思われます。
ですので、理論的には、言語学を学べるところであれば、基本的にはどこでもできる ということにもなります。「分析の対象として、法というコンテクストに現れる言語現象を 扱うだけで、やることはただの言語分析なんだ」ということを指導の先生に強調してください(笑) また、法言語学はしばしば社会言語学の一分野として扱われるので、社会言語学を 学べるところなら、言語と法の研究は、より異質感が減るのではないかと思います。
ちなみに、立教大学の異文化コミュニケーション研究科や大阪大学大学院言語文化研究科などでは、 法と言語の研究をした修了生を知っています。また、高崎経済大学地域政策研究科では、 法言語学会会長・大河原眞美先生のもと、法言語学の研究を行うことができるようです。
 また、海外では、カーディフ大学が、世界初の法言語学の修士課程のプログラムを数年前に始めたようです。
個人的には、この分野を体系的に学ぼうとすると、イギリスがやはり強いような印象を 持ってますが、上で述べたように、大事なのは、言語学を学べばいいので、どの国でも、 たとえ法言語学の専門のコースなどがなくても、とりあえず法言語学に造詣の深い先生が いるところで学位をとればいいだけの話ですので、いろいろ調べてみるといいでしょう。
ちなみに、以下のURLで、どこで法言語学が学べるかが網羅されたリストを見ることができます。
Where to Study Forensic Linguistics (このリストは、少々古くて、管理人が以前勤務していた学校の情報も入っております(笑)
他の学校の情報などもこの情報をもとに直接問い合わせて見た方が無難です) ほとんどの法言語学者は、もともと違うことをやっていた人ばかりです。
私自身も学位論文は語形成ですので、普通の言語学で、法言語学には関係の ないものでした。学位を取った後に研究を始めたクチです。
 もし、詳細、相談、質問等がございましたら、私のほうに直接メールをいただければと思います。
(私は、非常にインフォーマルなコミュニケーションを好むタイプなので、堅苦しい挨拶や文体なども 抜きにして、お気軽にどうぞ。)

英語学習・留学

Miscellaneous: 英語&留学

  1. 英語の上達法?
  2. 日常会話って?
  3. 治安に関する話。

英語の上達法?

 

英語を教えていると、一番多く質問されるのが「どうすれば英語が上達 できるのですか?」というやつです。まあ、人それぞれ自分に合った方法と いうのが存在するでしょうけれども、ここでは私が実践し、効果的だったたもの を中心にお話します。今回はリスニングとスピーキングについてです。

1.リスニング
2.スピーキング

リスニング:リスニング力を高めるには、二つの能力を同時に向上 しなければいけません。一つは「音そのものを聞き取る力」で、もう ひとつは 「聞いた文を瞬時に理解する力」です。

<音の理解>

 音そのものを正確に聞き取るのに一番良い訓練は、ディクテーションだと思います。
ディクテーションとは、英語を聞いて、書き取る練習です。この練習で大事なのは、 正確に聞き取れなかった音を分析することです。たいていの場合、聞き取れないの は発音上の音声変化によるものです。例えば、「いっついんねあ」と聞こえた場合、 「いっつ」は「It's」だとうとわかるものの、「いんねあ」って何だろうとと思いますよね。
そこで答えを見て、「なんだ "in there"か」で終わってしまうのではなく、 ここで起こっている音声変化をしっかりと見極めるのです。
 英語の「n」という音は、とても強い音なので、周りの音に影響を与え、 自分と同じ音にしてしまいます。(同化という)この例で行きますと、 there の「th」の音が、その直前の in の「n」の音に同化され、 「いんぜあ」が「いんねあ」になってしまうわけです。英語にはこのような 音声変化が沢山あって、それが英語を聞き取りにくくさせているのです。
そして音声変化のパターンがわかったら、今度は自分が同じ音で発音 できるように「発音練習」 をして自分の体・脳に覚えさせるのです。
 このような訓練は、一瞬面倒くさそうですが、脳が音を理解するしくみから考えて、 最も効率的な「音を聞き取る能力」の能力の向上法です。「脳が知らない音は 聞き取れない」というのが基本です。自分の発音矯正をして脳に英語の音を 徹底的にたたきこみましょう。

<意味の理解>

 リスニングの意味の理解力を向上させるのに、意外にも最も効果的なのは 「リーディング」なのです。しかし、「ことば」の意味を伝えるための媒体が「音声」か 「文字」かという違いだけだということを考えれば、これらの関連性も納得 できますよね。 
 「リーディング」とは言っても。ただ読むのではなく、「速読」の練習が大切です。
「速読」とは言っても超人的な速さで文を読んでいく「ななめ読み」のようなものではなく、 ネイティブが話すくらいの速度で、戻ったりすることなく、単語が出てきた順に 文が読んで理解できるようにするです。音声として発せられた文は、文字として 書かれている文と違い、わからなかった部分があっても戻って考えている暇が ありません。主語がなんだ、目的語がなんだ、この関係詞はどこどこにかかっているとか そんなことを 考えている暇もありません。 考えている間に次の言葉が次々と 発せられてしまいますので、もっとわからなくなってしまいます。したがって、 単語が出てきた順に理解していかなければいけません。 文を一方向に 直線的に理解していく練習がこれなのです。 
 このような一見、不思議な練習もちゃんと地道に続ければ驚くような効果が 現れます。上で述べた練習は、脳科学の観点からもちゃんとした根拠に 基づいたものですのでご安心ください。ちなみに、応用練習として、キャプション (=英語の字幕)のついた英語を見るというのも結構効果的かもしれません。 
 あと、脳科学には基づいてませんが、一つ僕の経験の中で有効だった練習は、 英語の単語・イディオム・慣用表現を集めた本をテープ・CD付で買って、聞きまくって 発音しまくって、文字としてではなく、音として理解できるように練習しました。
文字として知っている単語・表現でも音として入ってくると意外に理解できないもの。
ですから、この練習は意外に役に立ちました。また、英語のなぞなぞのテープを 聞きまくりました。意味がわからなければ理解できないわけですから、真剣に 聞いて理解しようとします。そこが、ただ英語のニュースや映画を見るよりも いい練習になったわけです。英語のニュースや映画だと、わからないところが あってもなんとなく状況で意味を想像したり、そのままわからないままにしちゃったり しますからね。

 

 とまあ、このような練習をすることにより、自然に聞いた英語を意味に 直結して理解する力が養われていきました。

スピーキング:日本にいるとなかなか英語を話す機会がないので、全然話す力が 伸びないし、せっかく留学してきても会話力がどんどん落ちてきてしまうと嘆く人も 多いはず。しかし、嘆くより前に 「英語を話す環境がないなら自分で作り出せばいい!」 というのが僕の意見です。
 まず一人でできるは、自分の生活、思考を全部英語モードにしてしまうこと。
そして暇さえあれば何か題材を見つけて全部英語で説明する練習をします。
身の回りのものの使い方から、自分の考えまでを全て英語で言うことを続けてみてください。
(考え事をしていたら、それを全部英語で言えるか確かめてみてください。
こういった練習は実はすごく大切なんですよ!!!)また、朝起きてから寝るまで、 独り言を全て英語でやってみるのです。(周りの人からは白い目で見られる でしょうけど。)
 もちろん、独り言だけでは「コミュニケーション」の力は上達しません。やはり ネイティブや英語を話す人々とと会話をすることは大事です。そのために 私がよくやったのは、近所の外人の溜まるバーに通うこととか米軍基地の 中に友達を作ること。特に、外人バーには本当に毎日のように通い、朝まで いろいろな話をしたり、議論したりしました。この時に大事なのは、「『自分は 英語がうまくなりたいから相手に近づいてる』という下心を絶対に出さない」ことです。
(だから「英語を教えてくれ」とか言わない方が良いと思います。) 同じ国の人同士だって下心のある人間とはお近づきになりたくないもの。それは 外国人だって一緒です。日本にいる外国人の皆さんは、どこにいっても English Machineのように扱われてうんざりしているのです。これをちゃんと 念頭において行動していれば、外国人の皆さんといい関係が築けると思いますし、 英語もうまくなるしと、まさに一石二鳥です。
 まあとにかく、「英語」を話すチャンスは待っててもやって来ません。(笑)
ですから自分で話す機会をどんどん作るのです。みんなに白い目で見られたって 良いじゃないですか。変人結構。小泉首相を見てくださいな。 何かをやり遂げたとき、 最後に笑うのはあなたですから。 がんばってくださいね!

日常会話って?

 アメリカに住んでいたと言うと、同じように頻繁に聞かれるのが、 「じゃあ日常会話は完璧ですね?」という質問です。しかし、 「日常会話」って何でしょう?日常の生活において話す言葉でしょうか?
 大学院時代に、全然違う専攻分野のアメリカ人の友達達と 普段を話をしていて感じていたのは、「日常会話」って、実はすごい 難しいんだなぁということです。専攻分野の違う人たちですから専門の 話はお互いにあまりしません。従っていわゆる普通の会話(=日常会話) ということになるわけですが、会話がうまくいかないこともしばしばありました。
 私達が日常話す話題って、実はものすごい広範囲に渡っていますよね。
友達や家族の話をはじめ、政治の話、恋愛の話、タレントの話、音楽の話、 医学や科学の話など、本当にいろいろな話題について語っています。
昆虫の話をしたりするときもあります。例えば、「トイレにこおろぎがいたよ! びっくりしたぁ。」なんて話もしたりしますよね。では、「こおろぎ」って英語で 何というのでしょう?同じように日常会話では健康やけがの話題はよく出ます。
では、「捻挫」って英語では何というのでしょう?
 これらの言葉は、日本人であれば小学生の子でも知っているはずです。
このように、日常会話を「完璧」にこなすには、実は日本語と同じくらいの 語彙が必要なのです。通常の人の母国語における単語力が15000位 と言われていますから、英語でもそれくらい必要になってくるわけです。
受験の時に覚えるのがその3分の1くらいでしょうから、すなわち、 とてつもない単語力が必要になってくるわけです。その点、自分の 専門分野の話をするのは簡単です。使われる単語なども限られてきますから。
 まあ、そういった意味で、上のような質問で言う「日常会話」というのは 実は、「日常会話」ではなく、買い物したり、電話をかけたり、生活するために 最低限のコミュニケーションをするのに必要な会話、すなわち、 サバイバル・イングリッシュのことをさしているわけです。
 サバイバル・イングリッシュは、向こうで生活すればほんの数ヶ月で 身につきます。学校の勉強についていくのもそんなに難しくありません。
しかし「日常会話」マスターへの道は長く険しいです。
 みなさん、是非「日常会話」ができるようになるようにがんばって
くださいね。

治安に関する話

 アメリカに住んでいたという話をすると必ず聞かれるのが治安の問題です。
  シカゴ大学は特に危ない地域にありまして、キャンパス内であっても、 暖かい季節なると、その約1キロ四方くらいのコミュニティーで、週に 五、六十件の犯罪があるようなところでした。
  私は、シカゴ滞在中、13回引っ越しましたので、キャンパス内、 ダウンタウン、郊外といろいろなところで生活をした経験があります。  私は比較的安全に生活を送れた方だとは思いますが、それでもいくつか エピソードがあります。それをここでお話したいと思います。

(その1):ある晩、友達とご飯を食べに行って、その帰りにその友達を ヤで送る途中でのことでした。Korean Town の近くで、走行中の私達の ヤの前に、突然数人のAfrican Americanの少年が飛び出して、道路の 反対側へと全速力で渡って行きました。なんでそんな危ないことをする のだろうと、少年達が走ってきた方角に目をやると、なんと別の少年が 拳銃を連続で発砲していたのです。私達の車からわずか数メートルの ところでした!!私達は、身をかがめ、すばやくその場をそのまま車で 走り過ぎ、無事に友達を送りとどけることができました。あの闇夜に光る 青い閃光を今でもはっきりと覚えています。
(その2):ある週明けのさわやかな朝のことでした。アパートの入り口に 管理人が張り紙をしているのを見つけました。「なんだろう?」と思って早速 読んでみると、その前の週末になんと私達のアパートに2件、押し入り強盗が 入ったというのです。私の住んでいたアパートは、6戸ありましたので、 確率は1/3だったわけです。(ーー;)恐ろしや.....

 幸運にも私は滞在中には大した問題に巻き込まれませんでしたが、 まわりには実際に事件に巻き込まれた人もたくさんいます。
みなさん、You cannot be too careful. ですよ!!

ロースクール留学奮闘記

ロースクール留学体験記


1.きっかけ

 学位のシステムと言うのはご存知ですか?典型的なパターンは、大学を卒業すると「学士号」がもらえます。そして、大学院の修士課程、または博士前期課程というのを修了すると「修士号」がもらえます。そして、その後、博士(後期)課程というのを修了すると「博士号」が授与されます。博士号というのは、学位としては最上位に位置するものですから、日本なんかだと特に、人文系や社系の学問で博士号の後に何か学位を取ろうなんて人は、それほどいません。ところが、私は、ちょっとした事情(シカゴ大学の言語学科には修士課程というものがなかった!!)で修士号を飛ばして博士号を取ってしまったため、修士号にはちょっと未練がありました。そこで、修士号を何か他の分野で取れたらと考えていました。また、今、力を入れて研究している分野が「言語と法」という学際分野であるだけに、少ししっかりと「法学」の方も勉強しておけば、さらに研究の幅が広がるかもしれないと思ったのもロースクールへの留学を決心した大きな要因でした。ということで、留学の2,3年前から準備を始めました。

2.ロースクールの選択、願書の提出等

 そんなこんなで、ロースクールに行くことを決めたものの、アメリカやカナダのロースクールでJD(Juris Doctor)をとるまでは3年かかります。しかし、そんなに仕事を休ませてはもらえない、ということで、修士課程(1~2年)に行くことに。北米のシステムは、ちょっと面白くて、JDは一応、博士号扱いなのですが、博士号を取った後にLL.M.と呼ばれる大学院の修士課程に入って、さらに専門性の高い勉強をしたりします。そして、さらに勉強をしたい人は、大学院に残ってS.J.DやJ.S.DやPh.Dと言った学位をとります。つまり、JD⇒LL.M⇒S.J.D/J.S.D/Ph.Dという過程をたどるわけです。博士を二回とるイメージなのかなと考えています。カナダでは、このJDに値する学位が、一般的にはLL.B.となっていて、学部扱いです。日本の法学士もよくLL.B.と訳されますが、日本のシステムと違い、アメリカのロースクールと同様、普通の学部を卒業した後に入ります。その後は、アメリカと一緒で、LL.M.⇒S.J.D/J.S.D/Ph.Dとなります。したがって、この場合は、博士号は一回だけとなります。
 私も初めはアメリカのロースクールを手当たり次第探したのですが、まず、(どこの国のものであれ)LL.B/JDを持っていない人を受け入れてくれる学校がなく、YaleやStanfordのようにたとえ受け入れてくれるところでも、学費が軒並み350万以上で、とてもじゃないけど払える額ではないし、また、もらえる学位もLL.Mではなく、M.S.L(Master's in Studies in Law)/M.L.S(Master's in Legal Studies)と言った学位でした。まあ、学位の名前自体はどうでもいいことなのですが、なにより限られた留学予算しかなく、また他の奨学金には応募できない事情があったので、とりあえず安いところを探さなければということで、視野を同じ英米法圏であるカナダに移しました。カナダのロースクールはどこも100万前後。なんと、アメリカの三分の一。この時点で、留学先はカナダに決めました。そうしていろいろ探したあげく、トロント大のロースクールと同僚のK先生に教えていただいYork大学のOsgoode Hall Law Schoolという学校に願書を出すことに決めました。結局、両方の学校から合格をもらえたのですが、Osgoode Hallは、Tornoto大学のロースクールと国内トップを争う歴史的にも非常に由緒のある名門校で、図書館に関してはコモン・ローの図書館としては英国連邦の中で最大という規模。さらに、すばらしいことに、学校の方針として学際的な研究を積極的に支援しているというではありませんか。その上、学費も(頼んでいなかったのにもかかわらず!(笑))半分以上免除してくれました。(諸般の都合で奨学金をもらうわけには行かなかったのですが、学費免除は奨学金にあたらないのでありがたくいただきました。)こんなに条件のそろった大学はありません。そんなこんなで、最終的に、Osgoode Hall Law Schoolに行くことに決めました。
 必要な書類は学校ごとに違うと思うのでいちいち書くことは避けますが、基本的に、どの学校も必ず志望理由書(エッセイ)を書かせます。これはかなり重要です。推薦状なんかはどれも似たり寄ったりですが、このエッセイは自分自身を映し出す鏡みたいなものですから。また、この書き方には結構、コツがいるのです。私は、運良く、当時、日本に客員教授で来ていたアメリカのロースクールの教授に自分のエッセイを見てもらう機会を得ました。最初こそボロボロに言われましたが(笑)、丁寧に指導してもらった結果、この手のエッセイを書くコツがしっかりとわかりました。「目から鱗」のことがたくさんあり、これは本当にありがたかったです。私の今までの経験も含め、何を書けばいいのかを簡単に説明しますと、「自分がなぜその分野に関心があり、それを卒業後どう活かそうと考えているのか」、「自分の知識、研究、その他がその学校のプログラム、そしてそこで一緒に学ぶ人達にどのように貢献できるのか」、「それを証明する過去の事実」、「どうして当該プログラムが自分の目標実現のために適しているのか」をきっちりと書くことが大事だと思います。また、だらだらと沢山書くのではなく、簡潔に、ズバッズバッと要点だけを書くのがコツだと思います。とにかく、積極的に、相手に自分を売り込むということが大事だと思います。これらのTIPSは、きっと、日本において就職活動をする際にも役立つのではないかと思います。
 ちなみに、アメリカのロースクールの修士課程へは、日本で法学部を出て法学士を持っていれば、LSAT(日本で言う共通一時試験みたいなものです)を受けずに、TOEFLの試験だけ受ければ、あとは書類だけで大丈夫なところがほとんどです。州によっては、ABA認定校の修士号があれば、BAR EXAM(司法試験に相当します)を受けさせてくれるところもあるようです。アメリカでの法曹資格の取得を考えている人はこういうルートを考えてみるのもいいかも知れませんね。  

3.ロースクール入学

 そして、いよいよ入学。同級生は15人前後でした。トロント大に行っていた友人に聞いたところ、トロント大学のロースクールの修士課程には100人くらいいるそうですから、それと比べるとずいぶんと少ない感じです。でも、その分、手厚い教育が受けられるということですから、大満足でした。(2006年のカナダのロースクール・ランキングで一位を獲得したことからみてもその教育の質の高さが伺えます。)それも、LL.Bから直接上がってきた学生が4人、私と同じ学際的な研究のために来ている人が2人で、あとはみんな実務経験者。日本の法律系の大学院との学生構成の違いを実感しました。ということで、若い人が少ない!(その上、私は、アジア人4人の中で最年少(爆))そして、日本人は私だけでした。まあ、とにかく、刺激的な同級生達に囲まれ、新しい分野での勉強がスタートしました。

4.大学院生としての生活

 大学院生の生活と言えば、ひとことで言えば「孤独」との戦いですが、この大学院は、そのプログラムのディレクターが「ここでは絶対に孤独を味わわせない」と断言していましたし、それに社会人経験者が多いですから、みな社交的で、とてもコミュニケーションが盛んで、楽しかったです。毎月のようにパーティーがあり、みんな子連れで参加していました。そういう社交的な環境ですので、勉強面でもインフォーマルにお互いのテーマに関して、率直に意見を交換しあう雰囲気が出来上がっていて、本当に有益でした。
 大学院生は、全員がCarrelと呼ばれる個室の勉強部屋(中に備え付けのパソコンもおいてある)をあてがわれていて、かつ図書館の休館日や終了後にも、大学院生は裏口から入るキーをもらっているので、年中無休24時間いつでも図書館でゆっくり勉強ができる体制が整っていました。日本の大学じゃあまり考えられませんよね?(シカゴ大学の時は、図書館は午前1時で閉まってしまうし、休館日は利用できませんでした。)

3.授業

 やっぱり、このテーマがみなさんの気になるところではないでしょうか。(笑)私は、LL.B等を持っていなかったので、大学院生用の授業だけでなく、LL.B.の授業もいくつか受講しました。日本で想像していたのと違い、ソクラテスメソッドの授業は皆無でした。周りの人(先生方や学生)に聞いてみたら、LL.B.の授業は受講者も多いし、ソクラテス・メソッドだと効率が悪いので、今は講義形式が中心とのことでした。大学院の授業は、受講者が5人~どんなに多くても20人くらいだったために、学生の発言機会はかなり多かったのですが、やはりソクラテス・メソッドではなく、学生を中心とした議論形式、または個人発表、パネル・ディスカッション形式がほとんどでした。
 予習の量は、オクスフォードでの集中講義の時が一日300ページとかだったのに比べると、それほど多くなく、LL.B.の授業で、大体一回の授業で30ページから60ページくらいまで、大学院の授業で50~150ページくらいでした。とは言え、やはり外国人の私には結構大変でしたが...(笑)
 大学院生は、たとえLL.Bのコースを受講しても、最終的にはリサーチ・ペーパーで評価してもらうのが原則でした。これが、結構やっかいで、大体、一つの授業で30ページ~50ページが普通でした。(シカゴの時は、20~30ページくらいが普通)商標の授業で、学部生のペーパーは15ページ前後が評価基準だったのに対し、大学院生は50ページと言われた時は泣きたくなりましたが(笑)、まあ、その分、気合いを入れて勉強に望めたし、最終的に満足の行く成績がもらえたのでよかったと思います。York大は、大学院と言えど(笑、大学院は一般的に成績が甘いと言われている)、Gradingが厳しく基準も高く、ここでAを取るのは大変なんだなぁとかなり実感しました。だから、ペーパーは、かなり気合いを入れて、一つのペーパーに大体一ヵ月半はかけて、しっかりと書きました。
 英語そのものに関しては、先生の言っていることはとってもわかりやすいのですが、授業中、学生達の発言していることがよくわからないことがしょっちゅうありました。職業柄、普段から英語に接してはいるものの、やはり外国語。母国語のようには内容が入ってきません。また、もともとの英語力もさることながら、シカゴを離れてからかなり経っていますし、純粋にリスニングの力が落ちていると実感しました。また、分野が違えば、論理展開の仕方も違い、その点もかなり苦労しました。あと、英語を話すこと自体、言いたいことを英語で表現すること自体は何とかなるのですが、授業中に発言するタイミングをつかむのが難しかったです。言いたいことがあっても、他の人が先に喋り出してしまい、喋るチャンスを逃すということが数え切れないほどありました。(実を言うと、日本語の時でも苦手なのですが...(笑))こういう部分も無論、「英語力」の一部ですから、今後、自分の改善すべき課題として据えておきたいと思います。ということで、ひとことで言えば「大変」です。でも、みなさん、恐れないでください。なんだかんだ言っても、結局、何とかなります。(笑)とにかく当たって砕けろです。
 これまでの経験から言って、海外の大学院の授業では、結局、どういうTerm Paperを書くかが一番のポイントとなります。これさえ、きっちりこなせば比較的良い成績を修めることが出来るので、海外留学を考えている方は、ペーパーの書き方をしっかりと学んでください。これが海外の大学院で成功する(?)秘訣です!多少の英語力不足は心配することありませんから。

4.修士論文

 これが思ったよりフォーマルで大変です。量としては125ページが基準です。私は140ページほど書きました。シカゴ大の言語学科で修士論文(私は書きませんでしたが)が50ページ前後を求められていたのに対し、これは2.5倍ですね。さらに、審査してくれる教授を3人選び、かつ、口頭試問(oral defense)の時には学外から試験官として一人呼んで、計4人の教授に論文を読んでもらって審査してもらいます。これはなかなか厳しいなと思いましたが、一定の学術的水準を保つために必要不可欠だからポリシーとしてやっているということでした。論文提出後、(人にもよりますが)、必ず一回は書き直させられるそうです。私も、一月後に書き直させられました。とは言え、それほど大きな変更ではなかったので、2日で終わりました。そして再提出。それから約一月経って先生から口頭試問をしてくれる学外の先生が決まったと聞かされ、提出から丁度4ヶ月後の12月の初めに口頭試問となりました。口頭試問は2時間かけて行われ、最初の15~20分で論文の内容に関する説明をし、そのあと残りの時間をたっぷり使って先生方からの質問に答えるというものです。(博士号の場合は、3時間かけて行われるそうです。)私の場合は1時間45分くらいでしたが、まあ、緊張したのなんのって。そんなに緊張してないかなって思ってたのですが、全然言葉が出てこない。自分が何を言っているのかわからないという状態がしばしばありました。で、口頭試問が終わって、外で10分弱ほど待っていたら、先生が笑顔で出てきて、「おめでとう」と手を差し出してくれました。何とか、無事に終わったわけです。

5.飽くなき挑戦

 留学当初の予定では、修士だけというつもりでしたが、今後のことを考えて、博士課程に行くのも手だと考え、入学して早々、博士課程への進学希望書を提出しておきました。ところが、諸事情によりそれが難しい状況になってしまいました。でも、ロースクールの方では進学許可がもらえて、さあどうしようかと悩んでいたところ、T大学のK.T.教授とモントリオールの学会でお会いして、相談した際、「チャンスがあるのだったら、特に海外での活動に重点を置くのだったら、絶対にとっておいた方がいいよ」というご助言をいただいて、非常に勇気付けられたのと、修士課程の間に多めに単位を取得していたので博士課程修了に必要な単位数も残りわずかだったため、ステータスをフルタイムからパートタイムに切り替えて、何とか必要単位だけは取得しました。あとは博士論文を書き上げて、口頭試問(今度は3時間!)を終えれば、学位がもらえるのですが、果たしてこの野望は実現するのか....
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