神話の構造  古事記の中のオーストロネシア的要素

■作物起源神話

ヤップ島のけだるい午後。昼寝でもしたくなるような時間なのに、Dさんは覚醒作用のあるビンロウの実を噛みつづける。phを上げるためにビンロウの実に振りかける石灰は、小さなココナツの殻の中に入っている。蓋を開けると、先端の大きな穴の脇に、二個の小さな窪みがあって、どこか虚空に向かって口をあんぐりと広げた不思議な動物の顔のようにも見える。Dさんは赤茶けた歯でビンロウの実を噛みながら、なぜココナツの殻には顔があるのか、という昔話を(日本語で)語って聞かせてくれた。

最初の夫婦から産まれた最初の子どもはウナギだったので、井戸に捨てた。次に産まれた男の子はやんちゃ坊主で、そのウナギを三つに切って地面に埋めてしまった。埋められた頭からはココヤシが、胴体からはバナナが、尻尾からはタロイモが発生した。だからココヤシの殻には顔があり、バナナの実はウナギの胴体のような形で、タロイモの芽はウナギの尻尾のような形をしている。

■神話素

さて、このヤップ島の作物起源神話は、古事記の神話と似ている。前半はヒルコが産まれる話に、後半はオホゲツヒメが殺される話に対応している。

最初の夫婦であるイザナキとイザナミが交わって産まれた最初の子、ヒルコは、足の立たない不具の子であったので、葦の船に乗せて流して捨てた。高天原の神様に相談してみると、二人が交わるときに、女であるイザナミが先に声をかけたからこのような不吉なことが起きたのだと言われた。

オホゲツヒメはスサノヲに乞われて、鼻や口や尻の穴から食べものを取り出して料理したが、スサノヲはそれを穢らわしく思い、オホゲツヒメを殺してしまった。殺されたオホゲツヒメの頭からはカイコが、目からは稲が、耳からはアワが、鼻からは小豆が、性器からは麦が、尻からは大豆が発生した。

古事記ではまったく別のところに出てくる神話が、ヤップの神話ではひとつにつなげられていて、ウナギがヒルコとオホゲツヒメの両方の役割を兼ねている。一般に、神話は互いに関係のないストーリーの断片の寄せ集めだと考えられる。そして、これ以上分解できないストーリーの要素を、神話素と呼ぶ。前半は兄妹相姦型神話素、後半はハイヌウェレ神話素で、いずれも東南アジアからオセアニアにかけて(おもにオーストロネシアに)広く分布している。ハイヌウェレの名は、インドネシア・セラム島のヴェマーレの作物起源神話に出てくる少女に由来している。

ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、色々な宝物を大便として排出することができたが、その宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を殺してしまい、死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生した。

神話の要素である神話素は、文化を通じて不変であるというよりは、異文化間で共有される多数の異文 variant の集合であり、ストーリー上の構造は不変で、物語を構成する要素は様々に変異している。たとえばハイヌウェレ型神話の場合、女神が殺されるという部分は不変だが、死体から発生する作物は文化によって異なる。

■自然からの文化の分離

オーストロネシアの作物起源神話には、バナナ型という別の神話素もある。インドネシア・スラウェシ島のトラジャの神話。

初め、天と地のあいだは近く、創造神が縄に結んで贈物を天空から下ろしてくれ、それによって人間は命をつないでいた。ところがある日、創造神は石を下ろした。われわれの最初の父母は、「この石をどうしたらよいのか?何かほかのものを下さい」と神に叫んだ。神は石を引き上げて、バナナをかわりに下ろしてきた。二人は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、「お前たちはバナナをえらんだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子供をもつときには、親の木は死んでしまう。そのように、お前たちは死に、お前たちの子供があとをつぐだろう。もしもお前たちが石をえらんでいたならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに」

これは、バナナという主食の起源神話であると同時に、寿命の起源神話でもある。人間は美味しい作物という<文化>を手に入れた代わりに、永遠の生命という<自然>を失ってしまった。神話が好んで語るものは火や農耕や婚姻規則などの<文化>の起源だが、それはまた失われた<自然>への憧憬を同時に含んでいることが多い。しかし、ここで想定される<自然>とは、<文化>の側からロマンティックに想像されたものであって、じっさいに<文化>の誕生以前に人間が不死であったわけでも、何百年も生きられたわけでもない。

さて、このバナナ型神話の異文は、また古事記の別の場所に見いだされる。

天から[日向に]降りてきたニニギ(神武天皇の曾祖父)は、コノハナサクヤビメという美しい娘に出会い、求婚する。彼女の父、オホヤマツミは喜んで、コノハナサクヤビメと、姉のイハナガヒメの二人を妻として差し出した。しかしニニギは容姿の醜いイハナガヒメは送り返し、コノハナサクヤビメだけを妻とした。オホヤマツミは深く恥じ入り、「イハナガヒメを妻とされれば、天つ神の御子の命は岩のように永遠で揺らがないものになり、コノハナサクヤビメを妻とされれば、木の花が咲き栄えるように繁栄されますようにと祈願いたしましたのに、このようにイハナガヒメだけをお返しになり、コノハナサクヤビメだけをお留めになりましたから、天つ神の御子の命は、木の花のように儚いものになってしまうでしょう」と申し送った。そういうわけで、今に至るまで天皇の寿命は長くはなくなってしまった。

ここでは作物の起源神話の要素はなくなり、もっぱら短命の起源の要素だけがみられる。つまり、岩/生物=永遠の生命/死すべき存在、という構造は保たれたまま、岩に対立する要素が、バナナ/美女=過剰な食欲/過剰な性欲、と置換されていることがわかる。天/地=神/人間、が分離し、地上的な存在となった人間は、農耕や婚姻によって地上的な欲求を<文化>的に満たすことができるようになった反面、植物のように枯死すべき存在にもなってしまったということを、これらの神話は語っている。

また同様に、兄妹婚の失敗の物語は、近親婚の禁止という、<文化>のもっとも基本的な要素の起源を説明しているともいえる。ただし、古代日本では異性キョウダイ間の婚姻は禁じられておらず、イザナキとイザナミの物語では失敗の理由は女が先に声をかけたからだということになっている。

※参考文献:大林太良「東南アジアの神話」大林太良・宇野公一郎(編)『無文字民族の神話』白水社、1985年、57-87頁

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