第18回 明治大学シェイクスピアプロジェクト ロミオとジュリエット
28/40

 『ロミオとジュリエット』は、現代の日本でも人気の高い作品であることには疑いがなく、映画、バレエ、ミュージカルなどさまざまな形で我々を惹きつけてやまない。今年も、道枝駿佑(なにわ男子)と茅島みずきという、10代の男女が演じた『ロミジュリ』が話題になったことが記憶に新しい。また、ミュージカル『ウエスト・サイド物語』(1957年)から『泣くロミオと怒るジュリエット』(2020年)まで、『ロミジュリ』を下敷きにした作品も古今東西で創作し続けられており、若い2人の激しく燃えて散りゆく悲恋は、もはや世界的な共通言語と言っていいだろう。そんな『ロミジュリ』が、日本の舞台に初めて乗ったのは1904(明治37)年11月、手掛けたのは小山内薫(1881-1928)であった。 小山内は、『ロメオ、エンド、ジュリエット』全5幕として雑誌『歌舞伎』に戯曲を発表し、日本橋中州にあった真砂座で、新派の伊井蓉峰一座によって上演された。真砂座に文芸顧問として出入りしていた小山内は、この時まだ東京帝国大学英文科の学生で、わずか23歳であった。 この時代、シェイクスピアに限らず外国の作品を上演する際には、現在のような「翻訳」ではなく「翻案」で上演するのが普通であった。1903年には、本郷座を根城としていた川上音二郎、貞奴夫妻がすでに『オセロ』や『ハムレット』を上演しているが、欧米帰りの彼らでさえ翻案の形を取っているのだ。小山内版『ロミジュリ』の場合も、タイトルは原題通りだが、設定は明治時代の華族社会へと変更している。登場人物も、ロミオは「元田伯爵嗣子粂雄(くめお)」という名の学習院の学生、ジュリエットは「狩野伯爵令嬢百合枝(ゆりえ)」で、2人は「香取家」の舞踏会で出会うという、『ロミジュリ』ならぬ『くめゆり』なのだ。そこに、僧ロレンスだけが「家庭教師ロオレンス」という外国人の設定で登場するのが、明治という時代の「リアル」だったのかもしれない。 さて、この上演の評判はどうだったのか。結論から言えば、あまり良いものではなかった。今と違って『ロミジュリ』の物語が浸透していない時代のことではあるが、その要因は、大きく分けて2つある。まず、舞台を明治時代に移したことによる「無理」である。警官もいる近代国家の観客からすれば、「ありえない」の連続であったらしい。次に、セリフの問題である。小山内版では、『ロミジュリ』の売りになるはずの美しいソネットが大胆にカットされ、全体を通して直訳調になっている。これは「さながら英語教師が生徒にシェークスピアの訳読をせるが如く」(白鳥「真砂座評」『読売新聞』1904年11月12日)と批判されるように、学習院の学生が話すセリフとしては不自然に感じられたという。 しかし、小山内が最もショックを受けたのは、坪内逍遙が早稲田の講義で「この翻案者はシェイクスピアの一字一句をも研究した事がない」と言った、と人づてに聞いたことであったらしい。大先生である坪内に、公衆の面前で非難されたことに彼はひどく傷付いた。二代目市川左団次と「自由劇場」を興し、イプセンの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を上演するのはこの5年後のことであるが、森鷗外の小説『青年』にあるように、シェイクスピアよりイプセンが当時の若者を魅了していったことの背景を考える時、この『ロミジュリ』の失敗が大きな意味を持つことがわかる。そして小山内にとっては、ほろ苦い劇壇デビューとして後年まで引きずることになった。 そんな『ロメオ、エンド、ジュリエット』が100年以上の時を経て2020年10月、MSPラボ公演によりYouTubeで命を吹き込まれた。それを見て、私はしみじみと感動したのであった。まず、小山内版で決定的な欠点であるト書きやセリフの省略が、河島敬蔵の『春情浮世之夢』(1886年)で見事に補われ、劇としての破綻が解消されていた。朗読を盛り立てる音楽も、無駄がなくぴったりとはまっていた。そして、1904年の観客が不自然に感じたらしい直訳調のセリフが、実に自然で、むしろ新鮮に響いたことにも驚いた。 とりわけ、現代の大学生が演じる姿を見て、ロミオが若き日の小山内に重なったことが個人的には大きな発見であった。実は小山内は20歳の頃、初恋の女性が別の男性と結婚してしまったことに絶望し、友人の川田順宅に押しかけ、毒薬を飲むかのように見せて酒をあおり、薔薇を食べるという狂態を演じたことがある。川田は『ヘンリー四世』のフォルスタッフの真似ではないかと回想しているが、ロミオのつもりであったのではないかと思い至ったのである。23歳の小山内がロミオに自身を投影していたとすれば、また一興ではないか。 小山内がそうであったように、たとえ愛する人と引き裂かれても、我々はまた明日を生きていかなければならない。きっといつの時代でも『ロミジュリ』の物語は、あまりにも熱烈で短絡的で「ありえない」のだが、だからこそ劇としての強度を保ち、普遍的な魅力を持つのだろう。そして、一時の甘い夢を見るように、また『ロミジュリ』の世界を欲してしまうのである。 さて、2021年、『ロメオ、エンド、ジュリエット』がMSP特別公演として再演されると聞いて、小山内が1904年に訳したセリフが今度はどのように聞こえてくるか、今から楽しみでならない。そして、明治大学シェイクスピアプロジェクトの第18回公演として、ついに『ロミオとジュリエット』が上演される。学生翻訳チームの「コラプターズ」があの場面のあのセリフをどう翻訳するのか。また、それを現役明大生がどう演じ、音楽やスタッフワークはどう表現するのか。ロミオやジュリエットと年の近い学生たちの創り出す『ロミジュリ』は、誰にとっても刺激的な上演になるに違いない。28小山内薫の『ロメオ、エンド、ジュリエット』熊谷知子(明治大学兼任講師)

元のページ  ../index.html#28

このブックを見る