イスラーム・中東トピックス

11中東における石油

サウジアラビアクウェート地図 中東には古代から石油のにじみ出る場所があったが、20世紀初めまではほとんど注目されることはなかった。当初、アメリカを中心として行われていた石油の採掘だが、これを嫌った西欧諸国が世界各国で石油を探し始めたのだった。そして1920年代に入ると中東に膨大な石油が眠っていることが明らかになる。この頃、中東の石油生産の中心はイランとイラクであったが、爆発的なオイルブームはサウジアラビアのダンマーム、クウェートのブルガン両油田(発見はいずれも1938年)が本格的に採油され出した第二次大戦後に来た。もっとも、この時期の湾岸各国は油を採掘する技術はもっておらず、メジャーと呼ばれる国際石油資本によって油田は採掘され、中東各国はその利権料とそこから得られるわずかな税金しか自らの懐には入らなかった。そして、1960年9月にメジャーに対抗して産油諸国の石油収入の維持、増大を目的とするOPECが設立される。しかしながら、60年代に入っても続く生産過剰の中にあってOPECのこの目的は容易には達成されることはなく、公示価格の据え置きが精一杯であった。また、OPECのもう1つの目的である、今まではメジャーに牛耳られていた石油産業の国有化も次第に進められていった。その後、1970年ぐらいまでには産油国による事業参加もある程度進み、このことはメジャーと産油国との力関係の変化へとつながっていくのだった。それに関係して、1973年には第4次中東戦争に伴い第一次オイルショックが、5年後の78年にはイラン・イスラーム革命に際して第二次オイルショックが起こる。1973年の第一次オイルショック以後、OPECはメジャーに替わる新たな国際カルテルを組織し、石油価格を高騰させていった。けれども、石油が高騰すればするほど消費国は省エネを進め、当然ながら石炭などのより安い燃料にシフトした。OPECの価格引き上げ戦略はやがて破綻し、1986年には「逆オイルショック」と呼ばれる石油価格の大暴落が起こることになる。その後は、石油価格は基本的に市場に委ねられ、今日に至る。世界経済を脅かしたOPECも今では単に価格暴落を防ぐ供給調整会議に過ぎなくなっている。

 現在の中東における石油の重要性は:第一に、世界のおよそ40%を超える生産量を誇っているという事実に加えて、そのうち90%以上が世界のほかの諸地域に輸出されているということである。世界の石油輸出量の約70%を中東産が占めている。第二に、好むと好まざるに関わらず、世界の中東石油に対する依存度は今後ますます高まらざるを得ない。第三に、石油生産の急増によってもたらされる産油国の巨額な石油収入である。こうした巨額な石油収入の獲得は、産油国の経済力を強め、その発言力を一層高める事になったが、一方で一国における貧富の差の拡大にも大きく寄与してしまっている。


*



このページのトップへ 閉じる


明治大学100コンテンツプロジェクト トップへ copyright(C)2007 Meiji University. All Rights Reserved. 利用規定マーク(学外でも-閲覧OK)